守田簔洲旧居
今川を挟んで対岸から見る
大阪城の石垣の石材を切り出した沓尾山と守田簔洲旧居
福岡県行橋市の長い浜の海岸近くにある沓尾にある守田簔洲旧居は、
黒田二十四騎の一人、後藤又兵衛が黒田家を出奔した際に、身を寄せていた守田家。
娘・久子は黒田家第19代当主、黒田房吉に嫁いだ。
屋敷は江戸時代末期に第27代当主守田蓑洲の頃に建てられ、
「蓑洲亭」と呼ばれていた。
守田蓑洲は10の村をまとめる平島手永大庄屋を務め、
中央政界にも人脈があり「蓑洲翁古希の祝い」として、
伊藤博文、山縣有朋、大山巌や画家富岡鉄斎らから和歌や漢詩などを贈られている。
また、これは余談ではあるが、
豊臣秀吉が大阪城を築城の時に石垣になる石材をこの地から切り出し、
船を使って運び出したと言われている。
その時の石垣の残材が6基残っている。
所在地 / 福岡県行橋市大字沓尾181
入場料 / 無料
お問い合わせ / 行橋市教育委員会文化課
電話 / 0930-25-1111 (内線 1167・1168)