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「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

「 悲しい十字架 」   テンポイント

2012-12-23 08:37:57 | 競馬・ボート







「 悲しい十字架 」   テンポイント



栗色の貴公子は
人気の重さに耐えかねて
トモを落とした四コーナー

全国のファンから
ガンバレ ガンバレと
願いが届く

額の流星は悲しい十字架
無事を祈る我らが胸に
希望は失せた




昭和53年1月22日 京都競馬場 日経新春杯にて
左第三中足骨多開骨折ならびに第一趾骨複骨折のため
闘病生活後 3月5日に衰弱のため死亡

テンポイント
父 コントライト
母 ワカクモ


命日に想う 「 Forever 中村政信 」

2012-12-23 08:14:54 | 競輪・オートレース



中村政 ( まさ ) とともに戦った彼の愛車 「 トーマス 」








雪化粧をした飯塚オートレース場





毎年、この時季になると好きだった中村政信を思い出す。
彼の “ 最後まで諦めない走り ” に感動をおぼえた。

あの事故から13年が経ったが、
それでもまだ彼が走っているような感覚になる。
Forever 中村政信。
彼は僕らファンの中で永遠に生き続ける。




「稀代の戦士」  中村政信



寒い日でした
丁度はるか彼方に
雪化粧をした
福智山が見えるあたりでした
一度に3車が接触し
落車しました
その中に 中村政信がいたのです

中村政信 33才
全国区のトップレーサーでした
『 車にばかり頼らんで
人間が頑張らんと 』
が口ぐせでした

今は亡き
飯塚が生んだ
稀代の戦士
中村政信




平成11年12月23日 飯塚オートレース場にて落車殉職

主な戦歴 第1回 オートグランプリ
第8回 全日本選抜 S G 優勝
浜松ゴールデン3回 飯塚周年記念2回
春のスピード王2回 秋のスピード王3回
ダイヤモンド1回 95年、97年 S G すべて優出 
                  享年  33才 



広島県廿日市市宮島   「 世界一の大杓子 」

2012-12-23 00:08:54 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



宮島 ・ 【 世界一の大杓子 】





上の写真も下の動画も、宮島名物「宮島大杓子」(おおしゃくし)です。
大きさは長さ7.7m、最大幅2.7m重さ2.5tもあり、
材質はケヤキで ( 樹齢270年・長さ13m ) 産地は埼玉県です。
観光名所の一つとして宮島表参道商店街に飾られている。

宮島大杓子は伝統工芸である宮島細工を後世に遺すとともに、
杓子発祥の地である宮島のシンボルとして
昭和58年に2年10ヶ月の歳月をかけて制作されましたが、
展示場所が決まらず14年間倉庫に収められていたものである。
しかし、平成8年に厳島神社が世界遺産に登録されたことと
宮島本通り商店街が宮島表参道商店街に改名したことを記念して
現在の場所に展示されたと言われています。











宮島杓子は、寛政年間(1789~1801)に僧誓真(せいしん)が、
弁財天の持つ琵琶の形からヒントを得て、
島民に作り方を教えたのが始まりといわれている。
宮島杓子は、巧妙な技法と工夫によって、飯粒がつきにくく、
木の匂いがご飯に移らず、また熱によっても変形しない優れた杓子として高く評価されている。
日清・日露戦争時には、全国から召集された兵士が広島の宇品港から出征する際、
厳島神社に無事な帰還を祈願し、「敵をめしとる」という言葉に掛けて杓子を奉納し、
故郷への土産物として持ち帰ったことから、全国的に知られるようになった。




雨上がりの浜宮海岸

2012-12-23 00:06:18 | 日記 ・ イベント




雨上がりの浜宮海岸











昨日、グランドで行なわれる予定だった野球教室が雨のため体育館で行なわれた。

野球教室が行なわれた体育館を出ると雨はあがっていた。
それで久し振りに海辺を歩いた。
ピースが居たころは、よく散歩でここまで来ていた。

金曜と土曜は雨で仕事が休みになったが、
最近は仕事が忙しくて海に来ることもままならない状態である。
それでも今のご時世に仕事があることに感謝したい。




福岡県築上町 ・ ソフトバンクの選手による 「 野球教室 」

2012-12-23 00:04:24 | 野球



2012.ソフトバンク野球教室

























明日のプロ野球選手を夢見る少年たちの 「 野球教室 」 が
ソフトバンクの選手によって行なわれた。
この野球教室は毎年おこなわれているが、
テレビで見ることしか出来ないような現役の選手が
田舎町に来て指導してくれることに感謝しなければならないと思う。
それは行政もだが、保護者や児童・生徒にその気持ちを強く持っていてほしい。
教えた選手は一人ひとり憶えてなくても、
教えられた児童や生徒は一生覚えているものだと思うから、
そんな記憶に残る選手に感謝し、その時間に感謝してもらいたいと思う。

指導してくれる選手を尊敬し、教えられたことに感謝する児童や生徒は、
乾いた砂に水を撒くように吸収し、上手くなるものである。