「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

福岡発地域ドラマ 「 スイーツ 」 と 「 飯塚 」

2012-12-08 00:40:30 | 日記 ・ イベント







夕べ福岡発地域ドラマ 「 スイーツ 」 があった。
舞台となったのは、筑豊の飯塚である。
毎年のことながらこの地域発ドラマには感動させられる。
その根拠となる慣れ親しんだ 「 方言 」 に心が震えた。


例えばドラマの西郷隆盛の年末時代劇スペシャルの 「 田原坂 」 や
森慈秀の 「 夢の架け橋 天草五橋 」 。
なかにし礼の 「 長崎ぶらぶら節 」 や
松下竜一、その仕事② 「 潮風の町 」 など、
方言が感情を高ぶらせる。




『 飯 塚 』



オートレース場がある街
飯塚 ・・・
博多や熊本に行くときは
よく この街を通る
その度に
あなたのことを思い出します

川沿いから
あなたの通った学校が見える
そこを通る度に
あなたのことを想います





沖縄県中城村  「 中城城跡 」

2012-12-08 00:39:15 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡











中城城址碑銘
2000年12月2日に「琉球王国のグスク及び、関連遺産群」の一つとして、
世界遺産にも登録される。







三の郭の城壁
三の郭は護佐丸が築いた郭で、新城(ミーグスク)とも呼ばれ、
石積みの技法が最も進んだ「あいかた積み」(亀甲乱れ積み)によって築かれている。






北の郭の城門 ( 裏門 )
北の郭にある城門(裏門)は、太陽(てぃだ)が穴(東)に
向って建てられた門であり、かつてペリー探検隊一行が
エジプト式と評し、その精巧さを絶賛したアーチである。












一の郭から南の郭への門







三の郭 ( 新城・ミーグスク ) の城壁内側







北の郭外壁内側





中城城は14世紀後半頃まで、先中城按司(さちなかぐすくあじ)が数世代に渡り、
西の郭、南の郭、一の郭、二の郭を築き上げ、
1440年に読谷の座喜味グスクから移って来た護佐丸によって北の郭と三の郭が増築され、
現在の形となっている。

城は縦長の連郭式の山城で、6つの郭で構成されており、
城壁は主に琉球石灰岩の切石で積まれている。
西に東シナ海、東に中城湾(太平洋)を望み、与勝半島や知念半島、
さらには周囲の島々まで見渡せる眺望の素晴らしいところにある。


築城時代に差があることは、石積みの手法の違いから推察することが出来る。
城主の流れを辿ってみれば、英祖王の子(大成王の弟)が中城王子となり、
この地にグスクを築いたとされるが、どういう理由かは解らないが、
城主・中城按司は、第一尚氏の時代になると、島尻の真栄里(糸満市)に移されてしまう。
その後、中城グスクの城主になったのが、座喜味城を居城としていた護佐丸であった。

護佐丸が中城に移って来たのは、与勝半島で勢力を伸ばし、
周辺地域を支配していた勝連城の亜麻和利から中山を守るために、
中山王・尚泰久から命じられたものであった。

ちなみに先中城按司が糸満に築いたグスクが真栄里グスク ( 先中城 ) である。



沖縄県中城村  ・ 沖縄の文化財  「中城城跡 ( なかぐすくじょうせき ) 」

2012-12-08 00:36:46 | 沖縄の文化財






中城城跡
The Ruins of Nakagusuku Castle
( 世界遺産 )
World Heritade
琉球王国のグスク及び関連遺産群
The Gusuku Sites and Related Propertis of the Kingdom of Ryukyu


指定年月日 : 平成 12 ( 2000 ) 年12月2日 
Designaed Date : December 2,2000
所在地 : 沖縄県中頭郡中城村・北中城村
Location : Nakagusuku-son / Kitanakagusuku-son,
Nakagami-gun,Okinawa-ken



中城城跡は沖縄本島中部の中城湾に面した高台にあって、
沖縄の城跡の中でも最もよく城郭が保存されている。
城は六つの郭からなる連郭式の山城で、
城が築かれた時期は15世紀後半ごろと考えられている。
城壁は一部に野面積みが施されているが、
大部分が琉球石灰岩の切り石積みで見事なアーチ門を有している。
切り石積みの城壁には布積みを主体とする郭と、あいかた積みを主体とする郭があり、
築城の歴史を知る上で重要である。
中城城は尚 巴志の山北攻めの時に活躍した護佐丸の居城として有名であるが、
1458年に阿麻和利によって滅ぼされた後は、
城としての機能はなくなり間切り番所として使用されていた。



 The ruins are on a hill that faces Nakagusuku Bay at the central partof Okinawa.
Their structural Remains are best preserved among all Okinawan castle ruins.
The castle consists of six parts, and is believed to have been established
in the first half of the 15th century.
Nakagusuku Castle is famous as the residence of Gosamaru who was active when Sho-hashi attacked Sanboku.
After Gosamaru was destroyed by Amawari, the castle lost its
function and was used for officisl purpose.