お良しなさい日記♪

三浦半島からこんにちは!

実家じまい、最後の一コマ お騒がせ!(;^ω^)

2024年07月08日 21時00分00秒 | 気持ち・考え 告白部屋

 まだ父親が健在ですが 施設住まい。

一人っ子の私は実家を処分して、父の今後の介護生活資金として現金化することを決意しました。

 

 築53年の平屋を自分で取り壊す資金がないので「古家あり」の物件として 不動産会社さんにお願いしました。

立地環境にもいろいろ良くない点がありまして( 高度経済成長期の造成時のいい加減さ 私のせいじゃないやい)、売却価格はお安くなりましたが、欲をかいたら失敗すると思って高望みせずに進めていただきました。

 

 

 いろんなことがありました、お金もかかりました、人間関係を慎重に進めることに最も心を砕きました、ご親切なご近所さん達に本当にお世話になってしまいました。

 

なんとか ここまで漕ぎつけた!( 感謝と放心と、頭が激疲れ   なぜか体は元気でお腹が減る!)

 

流行りの・・・、違う、失礼しました(;^ω^)  社会問題化している「空き家」の長期間放置にならずにすんで 安堵しました・・・。

 

 で、いよいよ所有権が私から離れる直前、お花屋さんに こんな小さな花束を作っていただいて 感謝の気持ちを跡地に捧げてきました(*´▽`*)♡

母が「えんじ色」が好きだったので、似たような色のカーネーションを入れてもらいました。

 

 

 玄関があった場所に置こうと思ったのですが、ご近所さんが「真ん中に置きなさいな(*´▽`*)」とおっしゃるので、ど真ん中に厳かに横たえてみましたよ~☆彡 💐

 

・・・・・そうしましたら、翌日 ご近所さんから驚きの一報がもたらされたのです

 

それは・・・

 

この献花のいきさつをご存じない とあるご近所さんが、朝のゴミ捨ての道すがらにこれを見て   「お良しさんのお父さん、亡くなられたの 」

と、心配してくださったそうで  

 

 いやいや、ちょっと待ってくださいよ! 父が死んで どうして家の跡地なんかに お花をお供えしますかぁ?

 

 あ、いや 待てよ・・・。それは私が家族だから思うことかな そのご近所さんは、父を知る だれか他の人が供えたと思ったのかな?

 

 とにもかくにも、ご近所さんにあいさつ回りも終えたのに、さらに最後の最後までお騒がせな お良しなのデシタ 

 どんどはれ

 

 


おとーさん! 心配したよ〰️(*´Д`)

2024年03月08日 22時00分00秒 | 気持ち・考え 告白部屋

 これを書いている今日は3月8日(金)です。

 

 一昨日、実父がお世話になっている施設から電話がかかってきました。

 

「◯◯◯さんが大好きなコーヒーを召し上がらないので変だな?と思ってお熱を計ってみたら、38度の熱が出ていて下がらない。お声がけには反応するけれど、かったるそうで、お食事も食べられないし、起き上がることもできない状態です。胃腸炎だとすると、これから下痢や嘔吐があるかもしれません。様子を見ますね。」

 

ひとまず、こういう場合に医師から指示・常備されてある薬の服用と水分補給などの処置を施していただき、安静にしていたらしい父。

 

 

 そして翌日の昨日、

「いったん熱が下がったけれど、また発熱して今は39度以上。水分は経口補水液の「OS -1」をひと口だけ飲んで精一杯という状況です。

でも、咳も鼻水も出ていないし、どこかが痛いわけでもなさそうです。

でもご高齢なので、急変することもあるかもしれません。今日は担当医が休日なので、明日診察を受けてもらうことにしますので」

 

と、懇切丁寧に私(家族)に報告と確認と承諾の連絡をくださる施設の責任者さんなのでした。

 

 

 そして迎えた本日の診察後の結果連絡はいかに

 

 この3日間というもの、もう、どーなっちゃうか心配で心配で、ひとまず入院の支度を整えて自宅待機していましたが、精神的に疲れる〰️💦

 

 このあいだ「アスベスト肺」の健診に出かけて寒い思いをさせちゃったのがいけなかったのかなぁ? 

 それとも、また尿管に結石が引っ掛かっちゃったのかなぁ?

などと考えちゃいました( ´-ω-)

 

 やらなくちゃイケナイ家事をしたり、気晴らしもしたりして過ごした今日一日の夕方!

 

「お良しさ~ん、お父さんはコロナでした 特効薬を飲んでもらって、まだ発熱もありますけど酷くはなくて、夕飯も全部食べられました 重症化せずに、このまま快くなっていくと思います。ご心配おかけしました。」

 

えーっ 父にとって初めてのコロナ感染・発症です!

 

「ご心配おかけしました」って、施設の方じゃなくて、私が申し上げることですわ〰️(*´Д`) お世話をおかけしましたよ〰️

 

私はいろいろ至らないので、自宅介護していたら 父はこれまでもこれからも、元気ではいられなかっただろうと思っています。

 

 

 やっぱり集団生活は注意しないといけないですね〰️(@_@;)

 

同じく昨年から施設で暮らすようになった、夫のお母さんのことも気にかかります。

 

 私も近距離で人と会うときは、まだまだ😷マスクをしてあげなくちゃねぇ

 

 ということで、安心したら どっと疲れを感じてしまいました。

 

 今夜は「ドバイ」か「ハワイ」へ行って ゆっくり羽を伸ばしたいと思います

 

 それにしても、父は体力あるなぁ・・・(^o^;) もう97才ですよ~ん。

 

 私が先に逝きそうです(@_@;)???

そりゃ困る

 

 長文をお読みいただき、申し訳ございません


両親とわたしの大切な家を手放す準備が終わりました ☆ 記録 ② < 天井裏を見てみた!>

2024年02月10日 18時00分00秒 | 気持ち・考え 告白部屋

 生前の母がよく話していたことがありました。上棟式の時に見たことらしいのですが、、、

 

母いわく  「この家はしっかり出来ているんだよ。天井にすごい梁が入っているんだよ。」

 

 どこの家にも天井裏へと上っていける場所が設けられているはずです。片付け中と終わったあと、ちょっと覗いてみました(*´▽`*)♡♪♫♪♫♪

 

 「天袋( てんぶくろ )」の一か所の板が外せるようになっていました。

( 実は、実家は木造平屋建ての大邸宅でございます、うわっはっはー

 

上の写真の中央に見える材木の「焼き印」をズームアップ!

 

「天龍」と読めます

こういうのは「野地板( のじいた )」っていうのかな?

 

「テイガク」という専門会社の【屋根の構造 と 部材】という解説サイトへ飛ぶ

 

 屋根の一番高いところの木組み

 

てっぺんに渡してあるのは「棟( むね )」っていうのかな? 

左右に下がっていくのは「垂木( たるき )」か・・・。

 

ふたたび、【屋根構造 と 部材】という解説サイトへ飛ぶ

 

 

 

 傾斜している屋根のところ

( 懐中電灯で照らして見ています🔦)

 

 

 どうやら53年間ぶら下がったままの ビニールひも

 

 

 こういう丸太が、母が言っていた「梁」かな!

 

 

 これもそうかな?

 互い違いに左右から たくさん渡してあります

 

 

 ウンショッ!どっこいしょ! と、注意深く脚立を登って 天井裏に顔を出してみた~☆彡

( 片付け業者さんが、強力ライトを設置してくださったので よく見えています )

 

 壁です 

 白く見えるのは、20年ほど前に外壁を「サイデリング」に張り替えた際に張ったと思われる「防水シート」かなぁ???

 

 

 屋根の板

 電線が這わせてありますね、初めて目にしましたよーん(*´▽`*)♡

 

 

 時どき、飛び込み業者が「お宅の屋根、ずれてますヨ、雨漏りしちゃいますヨ、早く直した方がいいデスヨ」なぁーんて不安にさせることをしつこく言ってくるけれど、とりあえず平気 

 

長い間 私たち家族を守ってくれて、本当にありがとうございました~

 

 我が家のおかかえ大工さんペンキ屋さんも、私の板金屋さんをやっている従兄も、

「そういうことを言われた家の屋根に50回・100回上がって異常があったケースは一つもない!」と証言しておりますよ~ アッハッハー

 

 ただし、ふだんから雨漏りの兆候には 自分で注意深く観察しておきたいものです( 台風・水害・地震の後とか )

 

 


両親とわたしの大切な家を手放す準備が終わりました ☆ 記録 ①

2024年02月04日 21時02分41秒 | 気持ち・考え 告白部屋

 この、光の差し込む感じ・・・

 

 すべてが思い出です・・・

 

 昭和46年( 1971 )5月1日に昔ながらの「上棟式」を執り行い、同年8月2日に引っ越してきた私の実家のことを記録します。

こちらの写真は昭和62(1987)年のお正月の風景、60歳と59歳の両親です(*^-^*)

 

 上棟式のことはよく覚えています。コンクリートの上に材木が渡してある基礎を、ヨイショ ヨイショと何度も跨いで はしゃいでいた私でした( 小学校3年生)。

 それまで狭い借家暮らしだったので母は、「最初は広くてどこに座っていいかわからなかった(;^ω^)」と、晩年までよく言っていました。

 

 同じ部屋にて。もうすぐ95歳になる時の父です。

 

 2018年3月に母が(くも膜下出血でこの家の自分の部屋で)急死したため、急に一人暮らしになってしまった父の見守りが始まった私でした。それ以来2022年の7月に父が「尿管結石」で救急搬送されるまで、ありがたいブログ友だちの皆様と交流しつつブログを書いていたのは、主にこの家ででした。

2021年頃に公開した、疲れて眠る父の写真です(*´▽`*) アッハッハー

 

 

 私には別に自宅があり、父の入院と2日違いで これまた急病を得た夫の介助も始まってしまったので、一人っ子の私は実父が福祉施設でお世話になることを決意したのでした。( 紆余曲折あった )

 

 本箱の中の「囲碁の本」を資源回収に出すのが 重くて大変だったぁ~(;´・ω・)

( 2022年、買い物に行っている隙に撮った写真 )

 

 正面の大きな本箱は、父が大事な退職金で喜んで購入したものでした。

左右の家具は、昭和29(1954)年の結婚当初に贈られたものだとか。

 

  

 

 見ればわかる風景。書くことはありません。

さみしいなぁ・・・・・。

 

いろいろつらい気持ちでいっぱいです。

 

 

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 足腰が痛い母を手伝って お洗濯を一手に引き受けていた父。↑この写真の時91歳。

2022年に倒れる2日前まで、自分のことは自分でちゃんとやってくれていました。膝が痛くてどうしようもなかったはずなのに、感謝です。立派だったと思います。 実は鬼娘なくせに殊勝なことを書いている私

 

いやいや、私が子どもの頃の父は常にイライラしていて、母や私に手を上げることが多かったのです。実は、私の手には「お仕置きの傷」が残っています。

「昔の人だから」とかっていう理由はトンデモナイことですわ〰️(^o^;) コンニャロ!

 

 

 

 

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 お風呂掃除も、はがれたタイルの補修も、手が器用なので何でもやってくれていました。

 

 お風呂場も殺風景になりました・・・。

 

 

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 バスに乗って毎日買い物に行っていた父。支度が整って、まだ午前9時頃なのに 行く前に腹ごしらえのおやつ!

( 脇に折り畳み傘を用意してあるので、雨の日でも出かけていたのです)94歳ごろ。

 

 

 いろいろ乗っかっていたダイニングテーブルも丸裸に。

この台所も、すっかり空っぽの部屋になりました・・・

 

 昭和46年から使っていましたが、こんな綺麗な模様だったのね~、気がつきませんでした。ステキ

 

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 父と暮らした4年間、私がブログを書いていた部屋( 四畳半の和室 )

 

 引っ越してきた9歳の時から嫁ぐまで私の部屋でした。そのあと母が使い、亡きあとまた私が4年間使いました。

この家で一番 思い出多き部屋かな・・・(*´▽`*)

 

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( 引っ越してきたばかりの9歳から結婚するまで私の部屋でした。そのあと母が使って、亡きあとまた私が使いました。

 昆虫だの、鳥だの、サワガニだの、お花・きれいな新緑だの、いろんな観察日記をブログに書き続けた庭。

 

 

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 家屋の内外の処分を終えて、長年の感謝を込めてお掃除していた最後の最後に、なんと

 

 写真の奥にごろごろ並んでいる庭石を不注意にも

 

 利き手の薬指に落っことして「剥離骨折」

 ガーン! 生まれて初めてのコッセツです

カレンダーをご覧ください、大安吉日に骨折したのですよ

 

 今どきのギブスはこんな手軽な感じでビックリ! 機能は優秀です。

 

 

 そんなこんなで忙しくしておりまして、「三浦海岸の河津桜 開花状況」の観察記ぐらいしか ブログを書くことができませんでした~

 

このケガは  亡くなった母「アタシがいなくなったら、この家はどうなるんだろう・・・」と不安がっていた亡き母が許してくれる代わりに、 何か見えない存在の力が私に軽く「お仕置きの五寸釘」でも打ち込んだのでしょうか 

 それとも「充分頑張ったからもういいよ、少し休みなさい」と言われたのか? ←自意識過剰(笑)

 

 この記録記事、まだまだ続けます