お良しなさい日記♪

三浦半島からこんにちは!

わたしが撮った昔の写真 ★ 横須賀市 北下浦地区 長沢編①「県道27号線に掛かる 京浜急行線の高架橋あたり」【前編】

2022年10月02日 16時51分11秒 | 横須賀・三浦 ☆わたしが撮った昔の写真☆←まだまだ続けます(^-^)

 このあたりは、昔からの道を拡張して 大規模な道路を作っている最中です。

 

 計画が知らされた頃、わたしは消えていく素朴な風景を惜しんで ここを記録しておいたのです。

 

 以下、古い写真は昭和の終わりころのものです(*^-^*) ( 1980年代中頃までに撮影したと思います )

 

 最初の電車の写真を撮った場所です 

 現在 この畑は道路の真ん中になっているので、最初の写真とは立ち位置がちょっとズレていますけど・・・。

 

( 実は この畑の持ち主様が立ち退き前にお住いの時、私は訪ねて行って 昔の長沢はどのような様子だったのかとか、暮らしぶりのお話をお聞きしたのですよ。「遠慮はいらないから どんどん写真を撮っていいですよ」とご夫婦が言ってくださって、ありがたくお住まいの敷地の中まで記録写真を撮らせていただけました。写真は ご本人たちに差し上げてしまって手元にはありません。残念ながらネガも残っていません。私の頭の中にだけ、貴重な映像がしまってあります

 ※ 注 ※ 無理やりお訪ねしたのではなく、だいたいいつもお宅の前で作業されていて ご挨拶をしていたので その流れでたまたまお邪魔したのです。念のため

 

 

 その線路を引きで見た この場所は、昔は・・・

 

 

 昔ながらの道の脇にケヤキの木がありました。

現在の道路の真ん中あたりでしたかね?

 

 

二つの写真を合体させると 当時の風景がわかりますよ

 ほぼ こんな様子でした(#^.^#)

 

 なつかしいなぁ!!!

 

 

 そのケヤキを反対側から見た景色です

( 高架橋の下 あたりに立って写しています )

 

 この風景を今見ると こんな感じ

 奥に続く昔の道は残されました

 

 ならば、この現在の写真で 車が通っている場所はどうだったかといいますと、当然 民家は立ち退いたり 後ろへ下がったりして再建されました。

 そこがどういう感じだったかといいますと

 こんな感じでした。私の初代の愛車( 自転車 )が写っていますよ(*^▽^*)

 この脇道から入った所の風景がお気に入りでした♡

 

 

 入っていった先にはこんな静かな道が続いていました。

いま思い出すと、近所の女性だと思うのですが、車がほとんど通らないここで、自転車に乗る練習を懸命にされていたのを憶えています。

さすがにそこを自転車に乗ったまま追い越すことははばかられましたので、その時わたしは引き返しちゃったような記憶があります(;^ω^)

 

 この写真の奥の方に、高い木の枝が見えているのが おわかりになりますか?

 

 冬枯れの頃に撮った木です。

本当に本当に高い木で、わたしはここを通るたびに この大木に挨拶をしていたぐらい 神々しいお姿をしていました‼

 

あの木のところで道は左右に分かれていきます。

左右の道の端っこの方は今でも残っています。

とにかく、ここを中心付近として左右をドカーンッと拡張した印象です。

 

 

 なので、大木が立っていたそこも今や・・・

 こんな感じになっています。

信号機の所に、左右に入る道が残っています。

 

 この写真を反対側から、、、つまり 大木のあった辺りから 大木の目線で見てみますと こんな感じです

 奥に京急線のガード(高架橋)が見えます

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 それで、この写真を撮るのに私が立っていた所のすぐ左側に 分かれ道がありまして、そこは途中から残されました。

 

 そこの道は、今はこんな感じです

 

 

  まとめ 

 

 ケヤキの木があった 高架橋下あたりからの昔の道は、拡張されて 当時の畑や建物があった部分は今や道路上です。

 

 緑色線で示したルートが 往時の道です。左側へ入っていく道は 残されました。

 

 

 とにかくなつかしいです!!  

 

 他にも写真が残っているのですが、個人の民家の様子なので 今のご時世に鑑み、載せません 

 

わたしが撮った昔の写真 ★ 横須賀市 北下浦地区 長沢編①「県道27号線に掛かる 京浜急行の高架橋あたり」 【後編】に続く 


わたしが撮った昔の写真 ★ 横須賀市 北下浦地区 津久井編①「岩船地蔵」

2022年10月02日 08時09分29秒 | 横須賀・三浦 ☆わたしが撮った昔の写真☆←まだまだ続けます(^-^)

 京浜急行線の津久井浜駅を降りてすぐ、海側にあります。

 

 向かって右側は庚申塔群ですが、左側にある2体のお地蔵さまは「岩船地蔵」( いわふねじぞう )といいまして、水難除けと航海安全を祈るものであるそうです。

 海の方向を向いて立っていらっしゃいます。

 

 こちらのお地蔵さまがそうです(*^-^*)

 

 貝の首飾りをたくさん掛けているのは、無事に航海から帰ることができたお礼参りに奉納する習わしがあるからです。

 

 実は、この写真にある首飾りの一部に 私が5年前( 2017年)に初めて小笠原に長旅したときのお礼に掛けた「貝の首飾り」があるのですよー(#^.^#) てへへ・・・

( 首飾りに使った貝殻は三浦海岸の端っこの磯で拾ったものです )

 

 お地蔵さまは 船の上に鎮座していらっしゃいます!

 

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 そして ここから下は、私が1990年代後半か2000年代か(?)に撮った 同じ場所です

 

 

 この頃、左側の立ち姿の方の「岩船地蔵」さまの首が 時どき外れて地面に置いてあることがありました。

 昔は・・・、といっても建立当時の頃以降しばらくの間だと思われますが( 享保五年(1720)に建立、宝暦四年(1754)に再建された。)、海に出るときにこのお地蔵様の「頭」( 首 )を持っていったらしいのです。

 

 それで、無事に帰ることができると 首をお返しするとともに貝を供えた ということです。

 

 最初に目撃した時は意味を知らず、「ヒドイことする人がいるものだ」とびっくりしました。現在はセメントで胴体としっかりつないであります(^o^;)

 

 

「青面金剛」などの、往時の姿です

 

 

 上の2枚の写真を合わせると、以前は このような配置でした

 

 「ヒガンバナ」が咲いていて、この記事を書いている今の時期と同じ頃であることが「縁」を感じさせます(*^-^*)

 

 岩船のお地蔵様、これからも海の安全をどうかよろしくお願い申し奉りマス

 

 横須賀市津久井「岩船地蔵」 ふるさと横須賀 解説第193章

 

 

☆ 新たな写真が見つかりましたので、追加UPします ☆ 

 

やはり1990年代後半だと思います(#^.^#)