気象庁が「これまで経験したことのない」、「未曾有の災害が発生する恐れが」と早い段階から強く警戒・警告していた台風19号。三浦半島も暴風域に入った時間を過ごしました。
不特定多数の方々が読むSNSに こうして書き表しておくなら、知識のないまま自己判断で勝手な推測を書くわけにはいかないでしょう。
なので経緯だけを記しておこうと思います。
と、その前に 今回もっとも判断に迷ったことを ↓
【 避難所へ行くか 家にとどまるか 】
① 我が家に近い避難所は海岸に近いし、河口が近い川の隣であった。
② 満潮・高潮の状況の上、LINE等のSNSで友人たちから海岸線の高い波の画像が送られてきていた。海岸線に設置されている某店舗のライブカメラの映像を見ても、見たこともない高い海面だった。
③ 増水した川の状況を普段の大雨で見ているので、上流からの雨水と 河口からの高潮による逆流を想像してしまった。台風襲来の前々日すでに避難所の横の川面は海からの風で 上流へ向かって波打っていたのを見た。
④ 別の某所を自主避難所にしてくれるという情報も得たが、襲来前日に開設しなかった。当日朝になってからでは、自家用車がない我が家の93才の父を連れて避難所へ行けない。テレビでも「今日のうちに!」って前日に盛んに念押ししていたし。
前日に近所の同級生が車を出してくれると言ってくれてたが、さすがに12日になってから車を出してもらうわけにはいかない。迷っているうちに、とうとう危険で外へ出られない時間が来てしまった。
高齢者は迷惑をかけるので、誰よりも早く避難所へ連れていこうと、車椅子は公共機関から借りておいたのだが……。
⑤ それに、考えすぎたかもしれないが、その某所の立地では 裏山の土砂崩れが心配だったのです。
場所が特定されてしまうので詳しくはかけませんが、父の家は……
・ 瓦葺き
・ 地滑り防止区域内
・ 南向き斜面の中腹
・ 高潮浸水ハザードマップ上は安全地帯
・ 家屋の構造・設備 や ライフラインの不安材料は、考慮して対策した( 詳しく書けなくて申し訳ありません )
これらの観点から、不安は「風」と「地滑り、土砂崩れ」でした。50年近く住んでいますが、風と地滑りの被害はありませんでした。でも、気象庁の「これまで経験したことのない」とか「未曾有の災害が差し迫っている」という鬼気迫る警告に、すごーーーーーく尋常じゃない気分になりました。
? 父と娘の会話 ↓
私「おとーさん、避難所に行く?」
父「どっちでもいいや」
私「避難所の硬い床で寝られるかなぁ……、また私がよけいなことして体調が悪くなってもいけないんだけどさ」
父「一時的なことだったら大丈夫だろう」
私「優先すべきは命なんだけどさ。私一人だけなら迷わず避難しちゃうんだけど」
最後の一言は、父にとってよけいな悪口雑言でしたね。
でも気象の荒れ多発、どこでどんな災害が起こるかわからないという危機感。申し訳ないけれど、もはや父には「災害時避難」というものを自覚しておいてもらいたいものです。他人事、というか「頭の中に無い」みたいなので~
父は最初、「だいじょうぶダヨ」なぁーんて、根拠のない楽天的発言をしていたのですが、テレビの気象情報を見ているうちに さすがに「これは大変かも」と思い始めたようでした。私が車椅子を借りてきたことを嫌がらなかったし、「娘に心配かけちゃいけない」という様子が見てとれるようになりました。
いろんな要素を鑑みて、「海に近くて 川の横」という立地の避難所へ行くぐらいなら自宅待機する!と腹をくくりました。それが台風襲来の前日の夜です。
というわけで、自宅で過ごしました。電信柱が倒れたり、瓦が飛んで雨が吹き込んで悲惨な状況になる不安もありましたが、「やることはやったから、あとは家屋の耐久性を信じて祈るだけ」という心境でした。納得していたわけではありませんが!
各地の様子を知ると、無事だったのは たまたまだろうと思います。
★ 自宅の立地と造りにはどのようなメリットとデメリットがあるのか、調べて正しく知っておくべきだった!と痛感しています

避難所についても、私の無知から 疑いすぎたかもしれません。( 私が電話で問い合わせた行政の職員さんも「絶対に安全」とは断言できないようでしたが
)
結局、避難所は無事だったのですがネ
周辺の道路は「ここまで水が来て流れた跡がある
」というのが分かるほどの木の枝葉が散乱していました。
海岸の状況はというと、砂浜沿いの遊歩道と設けてあるベンチがすっぽり埋まるほど 砂が堆積しています!
★10月23日追記★
職場で地域の人達と情報交換
・海岸部にあった避難所は「一時避難所」
・後から情報が来た某避難所というのは、風水害時には避難所とはならない場所だった。地震の時の「広域避難地」というものであった。
ですから、不正確な情報をメールで知らせてきた知人は何を言ってんだか
真に受けて 父の避難を考えて待ってしまい、もしものことがあったら大変なことになっていた。横須賀市のHPの「避難所情報」を勘違いして見ていた私もバカでした!
( 「避難所」の定義……屋根がある所
「所」ではなく「地」と付く避難場所は、屋根が無く、火災の延焼・煙に巻かれる心配のない 1万平方メートル以上の広さと外周に余裕がある場所。そこを「広域避難地」という。)
後から情報が来た某所の開設というのは、台風の時はあり得ないことだったのです!
……いやいや そうだったのかな?
避難所の職員に電話で問い合わせしたら「某所の開設というのは情報は来てませんねぇ。」とだけ言っていましたよ。あり得ないなら、あり得なませんと そう教えてくれるでしょう?
確か、横須賀市のHPに「風水害の避難所」って載っていたと記憶していますけど~
変だなぁ!
★以上 10月23日追記分でした★
↓ ここから先は、私がたどった準備の経緯ですので、ご興味がなければ読まずにどうぞ
【10月8日】
・沿岸部にある主人と暮らす家の周囲を片付ける
・2階のベランダの物干し竿を下ろしてガッチリ固定する
・9月の15号台風の後、庭の木は低く刈り込み、飾り物は撤去しておいた
・私は父の家へ、主人は11日午前中に実母の家へ行き、沿岸部の自宅は戸締めにした
( 沿岸部の自宅は、浸水ハザードマップ上では安全地帯ですが、台風が来る前からあんな高い波がドッカンドッカン来ていたので、とにかく100%信じることはやめた。強風についても15号台風の時で懲りているので
)
【 10月9日 】
・水とカップ麺、カセットコンロ用ガスボンベを購入
・非常持ち出し袋に、水のペットボトルを数本追加する
【 10月10日 】
・すでに風が強く吹いている
・家の周囲に置いてあるものを倒しておいたり、きつく縛ったり、屋内に入れたり。外壁や屋根など家全体の様子をチェック
・父も私も、うっかりかかりつけ内科へ行くのを忘れていたので、私だけ自転車で行って薬をもらってきた。
・帰りにパン屋で日持ちしそうな、でも美味しそうなパンを多めに購入。
★この晩からすでに風雨となる★
【 10月11日 】
・炊飯器の最大容量のごはんを炊いて、おにぎりを作る。
停電で電子レンジが使えなくなることを想定して、冷凍はしなかった( 93才の父は、まずい味に慣れていないし)。
・魚を焼いておく、天ぷらも用意、果物は剥いておく、サラダも作りおく。これらのおかずは急な避難にも持ち出せる容器に( 単なるビニール袋詰めも含む )入れておいた。
・この日は「十三夜」のお月見の晩でしたが、月見団子は超硬くなっちゃう食べ物なので作るのはやめた。
・避難所へ行くか、すごーーーく悩み始める。
・汚れ物をすべて洗濯し終え、洗濯機に飲み水を溜めた。( 父の家のは二層式 )
・雨戸をすべて閉めて、無い窓には段ボールを貼る
・手回し充電式ラジオに、コンセント電源からフル充電。このラジオはスマホにも電気を送れる仕組みであった
「最後の晩餐」よろしく、台風前夜の夕食は父が大好きな「しらたきタップリのすき焼き」を明るく笑って食べた~
「おとーさん、しっかり食べて体力つけとこうよ!」
エ~ン、無事に過ぎ去ってくださ~い! できれば来ないでほしい~。゚(゚´Д`゚)゚。
不思議とこの夜は、夜中に目覚めることなく ぐっすり眠ったのでした。
【 10月12日 】 襲来の当日
・常に気象情報を見たり聴いたりして過ごす(テレビ・ラジオ・スマートホン)
・家の真ん中に居る
・夕方に伊豆半島に上陸か?という情報を得て、お風呂は明るいうちに入り、夕飯も早めに済ます。
・暴風域に入ってから、良くないことに お勝手口のドアのガラスに貼った段ボールが風圧で落下!貼り直す。屋外と接したガラスに近づくと、風圧と外の音で ものすごい恐怖を感じた。
午後5時過ぎ頃から始まった暴風雨は、6時半から7時台いっぱいが「爆風」といった様相の地獄の時間帯だった。地震まで来て、生きた心地がしなかった。
私って こんなに不安症で気が小さい人間なんだ~と改めて思った。
救急車のサイレン、消防車のサイレン、昔ながらのウ~ウ~というサイレンが ほぼ20分間隔で聞こえて、私はそのたびに正気にかえって「ハッ!こんなときに外へ出動してくれてる人もいるんだ、お良し シッカリしろ、シッカリしろ~
」← ほっぺたパンパン!
・時々 外壁にドンッ ドンッと物が当たる音がする。 至近距離で、べらべら べらべらと、何かが剥がれかかっている音がし始めて まもなく消える。我が家の外壁が剥がれて 中の防水シートが波打っている音ではないかと不安になった。
父が「俺が寝てる部屋の方でガッシャンって音がしたよ」と言う

家の裏の狭いすき間を風が通るときの音が「ピィーッ!!!」と鋭く響く。心底こわいの一言です。
★ この時間帯の私の装備は → 小さなバッグに保険証・貯金通帳、自転車用の超明るいライト🔦などを詰めて肩から下げ、自転車用のヘルメットをかぶり、ポケットにラジオを入れ、ホイッスルを口にくわえて 手にはランタンを持っている!という いでたち。

・午後8半時を過ぎたあたりから頭の上で猛威を振るっていた「まるで怪獣の雄叫び」の爆風の状況に変化が感じられ、あれ?という感じで不気味に静かになっていった。
不安もあったが、そのまま穏やかになっていった。
前夜のようによく眠れたけれど、それはぐったり疲れたためでした。
「日記・記録」なら非公開に設定して書いておくような内容ですが、「避難してください」と言われて、さあどこへ?と、とーーーーーーーーーーーっても考えてしまったので、その事を記したいと思いました。