
同名のタイトルの「ハイファイセット」が歌う名曲があります。
私も「たった一枚のフォトグラフ」を持っていますよ(*^-^*)
その感慨深い曲の内容とは意図がまったく違うのですが、私の幼い時の記憶を書き記しておきます。
裏面に「フジカラープリント ’68 GUNMA」の印字があるこの写真。
真ん中に写っているのが私で、6歳になる年です。
場所は 当時住んでいた神奈川県横須賀市西浦賀1丁目の、主に遠洋漁船が係留されていた岸壁です。
背景は「浦賀ドック」( 住友重機械工業 浦賀造船所 )。
左の奥に、白い帆船みたいな船がいますね!初代の日本丸かな?
憶えている限りの会話を記録します(*^-^*)
この若い男性の方から話しかけられたと記憶しています。
母は、ここはどういう所か?と尋ねられたのです。母が「どちらから来られたのですか?」と聞いて、青年は「九州からです」と答えたと記憶しているのですが、写真の裏には「GUNMA」( 群馬 )?と記載されていますね 九州っていうのは記憶違いなのかなぁ????? お年は23歳とおっしゃったと思います!
母 「そんな遠くから単車で来られたんですか
大変だったでしょ
」
青年 「はい、遠かったです」
そして私に向かって 「クレヨンを買ってもらったの?
」と優しく話しかけてくださいました。
わたし 「うん」と答えたと思います。 頭の中では「〇〇の絵を描くの」とか言いたいと考えているのですが、幼くて緊張してて 言葉が出てこなかったと記憶しています(苦笑)。
母が、「この子は絵を描くのが好きなので」と言いました。そして青年が「絵を描くのが好きなんだね」って言ってくれたのでした。
( バスで久里浜という街へ行って買い物をした帰りだったのだと思いますが、貧しかった割には 親子そろって割とちゃんとした服を着ていますね )
写真を撮りたいとおっしゃって、この写真を撮ってくれました( 自動シャッターで撮ったのかは忘れちゃった )。
写真を現像したら送ります、と言ってくださって、母は住所を教えたんです。手にしていたのは すごく立派なカメラだったことを憶えています( これは本当です )
で、後からこの写真と手紙が届いて、母は返事を出したと話していました。手紙好きの母のことだから、何回かやり取りをしたんじゃないかと思います。
こうしてSNSに載せるのは初めてです。たぶん、各地をツーリングしていたのだと思います。
あの日から 57年、まだ80代に入ったばかりだと思います。ご健在ですよね? お元気でいらしてほしいです!
( この方もこの写真をお持ちなのかな? 見返して「この親子はどうしているかな・・・?」って思い出してくださったことがあるなら、母が喜ぶと思います(*´▽`*) )
母は90歳まで生きましたよ~、私は今年63歳になりますよ~! お会いした19年後に、私も北海道を自転車で旅しましたよ~
ありがとうございました~
あの後 私たち家族は引っ越しをしましたし、昨年 実家の片付けをした際にも この方からのお手紙は見つかりませんでしたので、母は処分しちゃったのだと思います(;^ω^)
ちょうど今日、クローゼットの最上段の片付けをしていたら出てきたので、ブログ記事に書いてみた次第です
ハイファイセット 「たった一枚のフォトグラフ」 ユーチューブ音源に飛ぶ