お良しなさい日記♪

三浦半島からこんにちは!

横須賀さんぽ Vol.2 山編

2016年05月23日 12時39分48秒 | おでかけ旅がらす・三浦半島編

 おうちのパソコンがおかしくなっちゃって、インターネットが出来なくなっていまして、一週間 記事UPができませんでした。今、これをとある所のパソコンで書いています。

 4月にUPした桜並木の記事の場所 と同じ場所の、緑濃い、横須賀市長沢地区の山奥を、愛車サンシャイン号で、めぐってきました。

写っているのは、NTTの、通信研究所。4月の記事の中で紹介したとおり、テレフォンカードの時代から、現代のスマホなどの各種機器まで、研究して生み出してきた、1年に1回だけ一般に公開している、NTTの秘密基地です。正面玄関は工事中。でも、監視カメラは、バッチリ お良しをターゲットに狙っています

このあたりは、長沢の「入(いり)」地区といい、長沢の最奥地です

振り返ると、武山203mの頂上が見えまーす。

通称 「通研通り」を左にそれ、入地区の中へ続く狭い道に入ります。

正面に見えるのは、かつて、地元 京浜急行電鉄が、タケノコ掘りをおこなっていた農家の竹やぶ。

ますます道が細くなり、車も入れません。農家の人はどこに車を止めているのだろうか・・・?

畑地が広がります。

坂道を上って、頂上に着くと、長沢の最奥地から、東京湾が見えます。

私は、左側の道から上がってきたの。右は、更に上の畑に続く道。ここは十字路で、私はここから背後の左側の道を下ります ここからは、マウンテンバイクにはサイコーに痛快な下りダート道が続きます

でも、今日は、ゆるゆると下ることにします。

途中、YRP(横須賀リサーチパーク)という、企業の研究所が集まった、横須賀が命がけで誘致した広大なビル群が見えます。これを造るとき、山を大きく切り開いたので、棲んでいた たぬき とかが、住宅地へ逃げてきて、交通事故にあったりして、母が、側溝の中で泣いているのを目撃したそうです

山道は、竹やぶの中へ・・・ 涼しい・・・

途中、立派な御殿みたいなお屋敷が現れます 一瞬、柳田国男の『遠野物語』にでてくる 「まよいが」 (たぶん→迷い家) かと思っちゃいます。

江戸時代からの、庚申塚。武山のお不動さまが近くだから、信仰の地です。

左下に、我がサンシャイン号のハンドルが ちらっと見えてますね。

庚申塚を過ぎると、まもなくひろい道に出て、入の町内会館の前に  

珍しい、柿畑。

通研通りに戻ると、入地区の遠景が・・・

とっても緑がきれいな 自然豊かな山里です。YRPを散歩される方は多いと思いますが、武山山系ハイキングコースとYRP地区の間にある、農村地帯も、風情があっていいですよ。

 

 

 


横須賀さんぽ Vol.1 街編

2016年05月15日 16時22分01秒 | おでかけ旅がらす・三浦半島編

 上の写真は、子供の頃から気になっていて、一度も足を踏み入れていなかった、横須賀中央の商店街 三笠ビル から行ける、豊川稲荷です。

ここが、三笠ビルの入口。横須賀市民のみなさんならだれでもご存知の、アーケードというか、まったくトンネルみたいになっている、むかーしからある商店街です。「三笠銀座」といいます。

そのトンネル商店街の途中に、左にそれて、裏山の豊川稲荷に行ける扉があります。

こーんな急な、157段もある階段を上るんですね。今回、豊川稲荷を訪ねてみようという気になったのは、地元テレビの放送を見たからです。

ひーこら 上ってたどりつくと、さっそくお狐様がお出迎え。なんか、巻物をくわえていますね。正面に、最初の写真の本殿があります。

本殿の立派な・・・なんていうんだろ?こういうの。

あれ、山川豊?

お良しお得意の脱線話になってしまいますが、わたくし山川豊さんを見たことあるんですよぉ。学生時代、熊谷市に住んでいたとき商店街に沿って流れる川にかかる橋の上でお立ち台にたって歌っていたのを通学のバスの中から目にしました。デビューしたばかりのキャンペーン 活動だったのでしょう♪(´ε` )ノ

背が高くてカッコよかったですよ!

...てな話はいいとして(^_^;)

境内からは、4月にオープンしたばかりの、商業ビル兼マンション 「リドレ横須賀」 がどぉーんと見えます。

この写真の真ん中の道を進むと・・・・

こういう看板があって、

庭園もきれいな、成田不動尊にも行けます。

この豊川稲荷が階段の終点ではなく、まだまだ上まで階段は続いています。民家があるのかな?どこまで続くこの階段 て いうくらい、急で狭い階段です。それに古い

豊川稲荷を後にして、三笠ビルに戻り、反対側の出口を出てすぐ、これもまた昔からある路地を入ってみます。

以前は何屋さんだったんだろう?と、想像してしまう古い建物が残っています。

路地の突き当りにあるのが、イタリアンレストラン  お良しが10~20代だった頃、「すず」 という、昔ながらの喫茶店があって、その雰囲気の良さに、たまに行きました。職場の先輩に、「喫茶店は、イタリアンレストランになったのよ」 と、聞かされて、今回 見に行ってきました。右の、テラコッタ色の建物です。

 訪れたのは3月のことなので、今は、きっと豊川稲荷のお庭にも、きれいな花々がたくさん咲いていることでしょう。

 

 余談ですが、三笠銀座の豊川稲荷の入り口にある、地球堂靴店のとなりに小さくお店を構えている靴のお直し屋さんは、とても良い腕前です。人柄が良さそうな目鼻立ちがはっきりした白髪のご主人が、丁寧に修理方法を説明してくださって、納得してから、料金も教えてくれて、素晴らしい腕前で仕上げてくれます!しかも安い!気に入った靴を捨てられない方はあの職人さんによみがえらせてもらったらいいと思いますよ。

 

 

 

 

 

 

 


第52回 小田原 北條五代祭り に行ってきました!

2016年05月04日 09時03分30秒 | おでかけ旅がらす

 全国のみなさん誰もが、学生時代、歴史の授業で、1192年いい国造ろう 鎌倉幕府 のことを習うと思いますが、それにつづく、相模の国を治めた 小田原北條氏の居城、小田原城下で毎年、小田原市最大の年間行事としておこなわれている、「小田原北條五代祭り」に、お良しは初めてでかけてきました

それは、3月だったと思うけれど、新聞記事でこんなのを見つけたからです

同じ年に生まれた、慎吾ちゃんが大好きなお良しは、ぜーひ会いたいと思いを募らせ、きっと連休で混んでいるに違いないのに、混雑覚悟で行ってきました

小田原へ行くには、久里浜からJR横須賀線で大船駅まで行き、そこで東海道線に乗り換え、神奈川県の南部東の端っこに住んでいるお良しは、西部端っこの小田原まで2時間の旅をしなければなりません。横須賀線に乗っていると、「東海道線が品川と川崎の間で人身事故で電車に遅れ・・・」などという情報が・・・ 「っえーまさか小田原行けても帰ってこられなかったりして・・・」と、不安に思う。大船に着いたら、トイレに行こうと思っていたんだけど、遅れている東海道線がすぐに来る、これに乗らなければ50分待つ、という構内アナウンス。混み混みの東海道に、ぎゅうぎゅうと乗り込む。覚悟の上だ。

ゴールデンウィーク中は、お良しの住む町は、行楽に来た人たちで、機嫌のよい人たちが穏やかーに過ごす、というのを目にしているので、混んだ電車の中で、オバサンが、「そーんなに押したって、もう後ろに下がれないじゃないのよー」と怒っていたり、小田原到着の混雑したホームで、オジサン同士が大声でケンカしているのが聞こえてきたりすると、「ああ、やっぱり混んだところでは、小競り合いがおこっているんだなぁ・・・」と、思うお良し。

東海道線は、大船から混んでいたけれど、途中、藤沢市の辻堂という駅で結構降りてしまい、(前に座っていたオジサンの、奥さんへの解説では、辻堂にはブランド物などのお店が入った商業施設ができたからね、ここは今 人口増加地域なんだ、とか)、平塚でも降りました。小田原到着の頃にはぎゅうぎゅうづめは解消していました。お良しも平塚からは座れたし。

外へ下り立ったのは20年ぶりぐらいの小田原駅ー すごーい近代化しちゃって、ビックリ 20年前は、駅改修工事していましたが、木造っぽくて、駅は地下道の先で、両側にお土産屋さんが並んでいた記憶。小田原のお土産と言えば、かまぼこ・梅干・海産物の干物などが有名。

着いてすぐ、あんこがいっぱい入った、名物のあんパンを売る、「守谷のパン屋」さんを訪ねましたが、お休みでした。確かに、連休中に営業していると、忙しすぎちゃって大変かも・・・

そしてお良しは、頭の中に入れてきた小田原の街を小田原城へ向かって歩き出しました。祭り期間中なので、案内板や警備の人、スタッフさんなどがあちこちに配置され、わからないことはそれらにたよればよし!

小田原には何回か来たことがあるし、天性の方向感覚の良さから、すんなり小田原城天守閣まで到達 平成の大改修を終え、5月1日に、リニューアルオープンしたそうで、真新しい天守には人がいっぱい

本丸には、さすがに大木がたくさんあります。

常盤木門(ときわぎもん)。小田原城 本丸の正門。もっとも大きく、堅固に造られた、ということです。

常盤木門の石積み。

二の丸に下りてくると、市中パレードに使われるお馬さんたちが、幕でおおわれて 落ち着いていられる隅っこの方で、おめかしされて、スタンバイしていました。お尻しか見えなかったけれど・・・ 二の丸広場、三の丸広場、銅門広場などでは、戦国時代の戦いに関するパフォーマンスや、小田原うまいもん巡りや、鉄砲・忍者演技、などなど、朝から行事が目白押しだったみたいです。

お良しは、小田原城の姿と、柳沢慎吾ちゃんを目当てに来たので、お昼ぐらいに小田原に着きました。

お城を出るのにお堀を渡り、いよいよ13:30からの市中パレードの陣取りにそなえます

この橋の上は風が強かった~。まわりのおとーさんたちが、子供たちに、「ほら、帽子を飛ばされないようにしなー」と、声をかけたので、お良しもすかざず、帽子のつばを押さえました

チラシももらったし、事前に、小田原のHPを見て、パレードの見物場所のすいている場所を記憶していたので、そこへ向かいます。途中、「大手門跡」というところで、大きな鐘楼を発見 さすが城下町。そこここに風情が残ります。 そばには、神輿もとまっていました。この神輿も、パレードに参加することになります。

「なりわい交流館」というところの前で、お囃子をやっていました。自分もお囃子をやっていて、お祭り好きのお良しは、大喜び

で、ここの近くでパレードを見ることにしました。

最初にやってきたのは、甲冑姿に身を包んだ、合田 雅吏さんという、小田原ふるさと大使の俳優さん。写真は撮らなかったけど、反町隆史さんみたいな雰囲気の、背の高いイケメンでした。

そして すぐにやってきたのが、この陸上自衛隊の音楽隊のみなさん。

子供たちの甲冑隊・女の子のなぎなた隊、忍者隊、などが続き・・・

来たー 慎吾ちゃーん 北條氏初代 北條早雲役 もう、観客総立ちの大盛り上がり

慎吾ちゃんも、マイクを付けて、声が聞こえるようにしてくれています。

お良し、すかざず、この手作りプラカードを慎吾ちゃんめがけて広げるすると、慎吾ちゃん、馬をとめて、目を大きく見開いて、読んでくれたんです そして、「ホント?ホント?」って、自分の胸と私を指さして、にっこり笑ってくれました。だーい感激 慎吾ちゃん、読んでくれてありがとう~ お良しの周りの人たちが、「なんて書いてあるの?」というのでお見せしたら、「良かったねぇ」 パチパチパチ と、拍手してくれました。小田原の人たちと親交も深められました。小田原の人たちも、いい人でした。「三浦半島から来ました」というと、おばちゃんが「私、三崎大好き」と言ってくれました。どうもありがとう。私も、小田原 大好きですよ。

そのあとも慎吾ちゃんを追っかけ、動画を撮りました。

駅へ向かう帰り道、スクランブル交差点で、ものすごい人で進まなくなり、赤信号で足止めをくったお良しは、そのおかげでラッキーにも、慎吾ちゃんの隊列に再び偶然出会えました

「おばちゃん元気ー?」 とか 「おとーさん、うるさい!あー!」 とか、終始、愛嬌を振りまいていました。沿道からは、小さな子供まで、「あばよ、あばよ」 の連呼が続いていました

初代の慎吾ちゃんの後ろに続いている、2代から5代までの出演者がかすんでしまっていました。それほど ものすごい盛り上がりでした 

パレードコースは2.7キロで、直線コースでなく、周回コースだったので、お城から離れるほど人が少なく、観客はばらけていたのですが、さすが900万人も住んでいる神奈川県。みなさん どっからおいでになったのか、なんか、大きな神社仏閣の初詣みたいな様相でした。

駅までの道は、小田原に詳しそうな人にくっついて歩いたので、地下へ入り、さっさと駅へたどりつくことができました。小田原の地下街もこんなにキレイになったのか と、しばし 感嘆。

素朴だった昔が懐かしい。

改札口では、巨大な、名物 小田原提灯がお出迎え!

15:06発の小田原始発の湘南新宿ライン高崎行きに、座って帰れたお良しでした。

帰りの車窓から、遠くなっていく、大きな箱根の山々や、慎吾ちゃんの面影に別れを告げました。

東海道線に乗って気が付いたこと・・・・小田原駅の出発を告げる曲が、「お猿のかごや」、平塚が「七夕」、茅ヶ崎が サザンオールスターズの曲だということ

自分でもよくあんな遠いところまで行ってきたな、という楽しい旅でした。昼間は暑かったけれど、帰りに地元の駅に着いたら、寒い風が吹いていました。周りの人が、「なんか寒くなったね」と言っていました。

来年も慎吾ちゃんが出るなら、また、プラカード作って行くよ 慎吾ちゃんのパレードは終わったけれど、関連行事は、5日まで続くようです。

 

5月6日に追記・・・職場の先輩から聞きましたが、小田原城の5月1日 平成の大改修後のオープンに訪れた6500人分の入城料は、熊本城再建のために、熊本に寄付されたそうです。