同じ日のレポート・前編の記事 三浦半島南東部、梅雨入り直前スペシャルサイクリング~ ☆彡 2021年5月 ③ 12日・みかん園の中へ
上にリンクを貼ったサイクリングレポートのつづきを記していきたいと思います
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と、その前に
本日、7月の最初の日は 三浦半島地方は「大雨警報」が発令されていました・・・← と、過去形で書きましたけれど、これを書き始めた午後7時30分に再び「大雨警報」が三浦半島と湘南に発令されました。
今現在、写真でご覧の三浦富士は暗がりの中でも真っ白けになっている姿がうっすらと確認できております
それで、写真でご覧のように 夕方いったん雨が小康状態になった時、山塊の左側から結構な勢いで霧がわき上がっている姿が見えました。
この下あたりには田んぼがあります。つまりあそこには水脈があると思われます。
気温は低くはないので、水蒸気が上がっているのでしょうか? いつもは山塊のあちこちからこうした霧が上がる光景が見られるのですが、今日はこの一か所だけからの すごい勢いでしたので、だれかが火燃しでもしているのか!?と、冗談にも思ってしまいましたよ~(;^ω^)
父の家にて、雨の中でも開き始めたユリ
品種名「イエローカサブランカ・コンカドール」
夕方と早朝によく香っています♡
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それでは本題に入ります(*^-^*)
神奈川県の南東部に位置する三浦半島。私が白い丸を描いて囲ったあたりを自転車で巡っています。
頂上に富士浅間神社の奥宮を祀る三浦富士を南側から見たところです。
浅間神社の拝殿は、京浜急行線の「津久井浜」駅の裏に建っています。
カメラをズームして三浦富士のすそ野を見ると、ミカン畑が広がっています。
この写真の右端真ん中あたりに三浦富士への参道と鳥居があり、そこへと自転車を走らせました。
前編の記事でお弁当を食べて休憩した 三浦富士の頂上直下から、ミカン畑の際を通って出てくる風景はこのような感じです
左の道は日当たりの良いミカン畑へ続き、私が行くのは右のワクワクするような細く暗い道です(;^ω^)
いつからここにあるのか!? という立派な木
暗い所を抜けると明るく開けて、奥に「みかんの温室」が見えまして、手前はビニールをかぶった(たぶん)カボチャの畑かなぁ?
自転車にまたがったままで ここから下を見ると ↓
むこうの山の際に、私が行く時に通った くねくね道があります(*^-^*)
お弁当を食べた場所に流れていた山からのチョロチョロ水も、この低い所を流れています。最終的には「津久井川」に合流します。
三浦のミカン畑はこのような起伏に富んだ地形にあります。
そのまま高い所を走ってきたここは、言ってみれば尾根ですね。
まっすぐ進むと、京浜急行線の「津久井浜」駅方面へ行けます。
ここから右下を見ると ↓
三浦半島・津久井浜の「津久井観光農園」のイチゴハウス群が眼下に!
尾根の上から正面を見ると ↓
ビニールに覆われて大事に育てられているのは、おそらく 三浦のスイカ♡♫
いや? かぼちゃかな? 自信がない私でごめんなさい!
遠くに見えるのは、東京湾と千葉県の房総半島です。
そして尾根の左下には ↓
三浦半島特産のカボチャ畑 と、東屋みたいなものが建っている芦原は堰です!
名前は「大畑堰」だったか「谷戸作堰」だったか? 記事にする前に調べておかなくて申し訳ございません。おそらく「谷戸作堰」だと思います。
昔のように満々と水をたたえてはいませんが・・・、それでもまだまだ ↓
堰から下へ向かって段々畑があり(かつての棚田)、、、
わずかに田んぼもあります! ♡
風で立つさざ波がキラキラして美しい風景でした
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話を先ほどの尾根に戻します(*^-^*)
ここから撮影している私の背中側、つまり反対側を見ますと、こんな看板が立っています ↓
私と自転車は「オレンジルート」というミカン畑の道を来たのです。そして これから登っていくのは「三浦富士・武山(たけやま)、武山ハイキングコース」の方向です!
自転車で えっちらおっちらと、ちょっと上ると このような広場に出ます。
右の道が三浦富士183mへ登っていく道です。左側は行き止まりです( おそらくミカン畑への作業道かもしれません。一般人は入らない方がよろしい )
しかし、左側から中を覗くと、こんもりとしたご神木に囲まれた中に・・・↓
本来の三浦富士への参道があるのです!
それでは おじゃまします m(__)m
昭和3年5月(1928)の記がある 記念献樹の大木は、こちらだと思われます。
すみません((+_+)) 白いのは比較のためにカメラの前に添えた私の手です
平成7年(1995)に新しい鳥居を建立した時の銘板には、私が存じ上げている方々のお名前もありました。
確かに新しいという印象があります。私は20代の頃、当時住んでいた町内で参加していたお祭りのお囃子保存会の子どもたちをを連れて、ここを通って三浦富士ハイキングに来たことがありました。先ほどの堰の周辺も、この鳥居の辺りも うっそうとした緑の中にあって外からは見えなかったのです。傾いたような古い鳥居がいきなり眼前に現れたので、その畏怖の念を抱かせる独特の風景に 15人ぐらいの一同が一様に驚いてしまったことを憶えています。
一緒に行ったもう一人の大人「Mちゃん」が、
「なんだかここから先は別世界っていう雰囲気だね」(鳥居は結界という意味で言ってた)と呟いたのも私は強く記憶しています。
けれどもそこは若さと無邪気さ満載の一同でしたので、すぐに気を取り直して 早くも、
「ここでおやつにしようや~」
ということになり、
( たしか中学生の男の子が「腹が減っては戦ができぬ」とか言ったと思います、戦の砦かなにかと勘違いしてないかい? アッハッハ )
鳥居の前で15人が車座になって 私が作ったミニアメリカンドックをありがたくも美味しいと言ってくれて食べたのでした 懐かしい思い出ですなぁ 感謝 感謝
( 三浦富士の神様のおかげで、このあとの道行きも順調&一同安全に終えることができたのです)
この鳥居をくぐって、向こうへ伸びる道を登っていくのです。
くぐって振り向いたところ
同じ場所から ちょっと左を見ると、現在の道があります ↓
そして、ここで背中側を見れば ↓
右端上に見える三浦富士の頂上まで、道は続いていってます。
さすがに車は頂上までは行けませんよ~。
★ 古地図を見ると、このあたりの昔の地名(字・あざ)は「ふじの入」というようです。素晴らしい~!
ここから見上げる 頂上のイチョウの木
( ★ 画像は 好日山荘 百名山さんのページ より拝借 )
あそこに小さくて素朴な祠があります。数年前までは、7月8日ごろに富士山信仰の先達によるお焚き上げも行われておりました。今年は7月7日に北側の麓にある祠の前でお焚き上げ行事を執り行うそうで、私もぜひ行ってみたいと思います!
この場所からも海が見えます ↓
鳥居の前から、すごーーーーーく ズームしています、画像が斜めになっちゃった~(笑)
「津久井浜」駅を出発していく京浜急行と、奥に見えるのは金田湾を挟んで三浦市の雨ヶ崎の突端です。あの向こうは、松輪、毘沙門の集落とつづき、三崎に至ります。
みかん畑の台地から、先ほど載せました堰から段々畑、田んぼを見ながら ずーーーと下ってきましたら、下の方の畑でも
特産のカボチャは 大きな花を咲かせ、、、
葉っぱの下から立派な美味しそうな・・・・あれ
これは間引きされちゃったカボチャンでしょうか 人間でいうところの「へその緒」が取れてますね!
5月中旬の頃のトウモロコシの様子です。この後 ものすごい速さで大きく育っていくのです!
ちょっと写っている 水が張られた田んぼでは、ツバメが水面すれすれに飛び交って 子らへのエサの虫を懸命に捕まえている光景が見られました。