ショーペンハウアーの言葉に 「人は、先の40年で本文を記し、続く30年で注釈を加える。」 というのがあるという。この言葉を聞いた時、私も1年ほど前から注釈を加え始めたのか、と感じた。それは何かが終わりつつあるという感触を得て、意味付けを求めたからだろうか。
この言葉は同時に、以前に考えたことのあるサルトルの "vivre ou raconter" 「生きることか語ることか」 にも少し通じているような気がしてきた。
それにしてもこれから30年もの間、注釈だけでは疲れそうだ。再び注釈を加えるべき本文を書いてみては、という声も聞こえる。