フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

京都の秋 L'AUTOMNE A KYOTO

2006-10-04 00:05:37 | 

先日の京都訪問では紅葉はまだであった。見逃した展覧会もあった。昨日の帰り、駅ビルの本屋に入ると京都案内の雑誌に手が伸びていた。もう一度くらい意識して訪れ、紅葉でも見たいと思っているのだろうか。あるいはアームチェアの観光客を気取ろうとでも言うのだろうか。

今週の Le Point の文化欄にはブラッサイ Brassaï とマルグリット・デュラス Marguerite Duras が取り上げられている。近いうちに読んでみたい。


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8 octobre 2006 マルグリット・デュラスの日記 CAHIERS DE MARGUERITE DURAS

 
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4 コメント

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Unknown (lys)
2006-10-08 21:39:59
ご無沙汰しております。先日京都にいらしたとのことですが、私はちょうどその前後4日間ほど東京に行っておりました。こちらに戻ったときに京都が涼しくなっているのでびっくりしました。でもまだ紅葉が楽しめるほど秋は深まっていません。見頃は11月半ば頃でしょうか。私は久しぶりに飯田橋の日仏学院に立ち寄り、あの白い建物がすっかり深い緑に包み込まれるようにおさまっているのに驚きました。昔はいきなり白い建物が目に飛び込んでくる風景だったので。
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お久しぶりです (paul-ailleurs)
2006-10-09 00:14:06
先日の京都は微かに赤みが見えるという程度でしたので時間が取れれば再度という気持ちもあります。日仏学院と言えば私も先週久しぶりに講演会を聞きに行ってました。夜だったので周りの景色はよく見えませんでしたが、周辺には木々が溢れているように記憶しています。昔とは相当変わってしまったということでしょうか。これからは季節の変わり目を味わうことができそうです。

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Unknown (lys)
2006-10-09 16:29:17
日仏学院の木々が大きく成長した、ということでしょう。基本的な建物の配置は昔のままです、欧明社が別館になったことを除いては。一番の変化はむしろ学院のaccueillantな雰囲気・姿勢だと思います。ところでMarguerite Durasといえば、かつて大学の第二外国語でHiroshima mon amourに出会ったのが私のフランス語との出会いでした。繰り返される男女の会話J'ai tout vu a Hiroshima.--- Tu n'as rien vu a Hiroshima.や、Neversという町の名、tonduという語の生々しさ、など鮮烈な印象があります。その後Duras作品はかなり読みました。個々の作品の細部は忘れてしまっても、母親・兄弟との関係をめぐる葛藤・愛憎・屈折のすごさはすべての作品に滲み出ていたような気がします。また京都を訪れられるような折りにはお声をかけて下さい。
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DURAS (paul-ailleurs)
2006-10-09 20:00:34
Hiroshima mon amour や Nevers について読んでいる時に、先月パリに行った時にホストのご夫妻から聞いた話が蘇ってきました。

http://blog.goo.ne.jp/paul-ailleurs/e/c26ea1cda34a1b165e3b28673e44f4e2

Durasという作家はすべての経験を掘り下げ、深め、利用した (tout sera exploité, exploré, fouillé) というような記述がありましたので、その後の作品に原体験が滲み出ていたというのは納得できるような気がしました。また京都を訪れるようなことがありましたら、記事に書きたいと思います。
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