フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

ブログ2年を経過して REFLEXIONS APRES 2 ANS

2007-02-17 00:43:14 | Qui suis-je

2005年2月16日からこのブログを始めているので、早2年が経過したことになる。私の独り言に多くの方が耳を傾けて下さったことにまず感謝したい。最初は頭の隅の方にあったものを穿り返すことから始めたが、その作業を続けているうちに paul-ailleurs 的なるものが自ら成長を始め、私の中で非常に大きな存在になりつつある。彼とともに歩みたいとさえ思うくらいに。

以前に、「生きることが私の仕事」 と書いたことがある。自らの根幹に触れるところで生きることができれば最高である、あるいは自らの求めるところにしたがって生きるために仕事をすると意識できれば素晴らしいという意味である。ニューヨークにいた当時、町に出てお店で働いている人とよく話をしたが、彼らは自分のやりたいこと (例えば、ブロードウェーに出る、作家や音楽家になる) をするための手段として仕事をしていた。もちろん、日本でも同じような理由で仕事をしている人に会う。以前は余り望ましくない生活スタイルに見えていたが、最近これは理想の仕事の仕方に近いのではないかとも思えるようになっている。

われわれはいつしか仕事を目的と捉えるようになってしまった。私もそうやってこれまで来たのかもしれない。ただ心の底には、これは社会の中でひとつの役割を演じているにしか過ぎないという思いがあることを、社会に出る前の学生時代から意識していた。今振り返ると、社会での仕事は自らの求めるところがどこにあるのかを探るひとつの試みだったのかもしれないとさえ思える。

ところで、これまでやってきた仕事を永遠に続けることができればどれだけ幸せだろうかとつい最近まで考えていた。つまり定年について否定的に考えていた。ただその時期が近づいてくると、それは必ずしも悪いことではないのかもしれないという思いが芽生えている。自らの求めるものに気付き、それが社会の制約の中で抑圧されていたとすれば、定年は何ものにも囚われず自らの歩みを始められることを意味しているからだ。

ブログの2年を経過したこの日は、仕事とは何か、なぜ仕事をするのか、生きることとどういう関連があるのか、最高の仕事とは何なのか、など仕事を巡る瞑想の機会を与えてくれた。これまでこのブログをやめて現実にどっぷり浸かってみようかと考えたこともあった。しかし、結局今まで続いている。私の中に、ここでの観察を 「生きる」 と同義に捉えようとする動きが出始めているのを感じる。それが 「仕事」 になりつつあるということだろうか。

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今日のお話、どこかで先日の 「全的に考える」 にもつながっているようだ。

コメント (14)
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