パソコン楽習館スタッフブログ

初心者・ミセス・シニアのためのパソコン・iPad・スマートフォン教室
埼玉県本庄市 パソコン楽習館

経営者の目線で見た塙保己一(はなわほきいち)

2019年02月18日 | 教室日記

じゅく長の東です。

以前にも郷土の偉人、江戸時代の盲人の国学者 塙保己一(はなわほきいち)をこのブログに書いたのですが、
たまたま埼玉県の中小企業の経営者の皆さんの前で塙保己一を紹介する機会がありましたので
その発表用にまとめたものをアップします。

本庄市児玉に来て29年。数年前にちょっとしたことから塙保己一の業績を調べ出したのですが、この人物、
調べれば調べるほど本当にすごい人。
大河ドラマの主役にもなれる業績の持ち主です。

自分も経営者の端くれですが、今回は経営者目線で塙保己一を経営者の方たちに紹介した内容です。
私の主観も入っていますので、もしどこか間違いがあって気づかれた方はご指導お願いします。
-----------------
盲人の国学者、塙 保己一(はなわ ほきいち)
江戸時代の人間コンピューター。革新的事業で日本の歴史と文化を保護しました。

◆埼玉県と塙保己一
塙保己一は荻野吟子、渋沢栄一と並ぶ埼玉三偉人の一人です。二人とも塙保己一と浅からぬ関係があります。
県には平成19年から始まった塙保己一賞があります。
障害がありながらも社会的に顕著な活躍をしている人、

又はこうした障害者のために貢献をしている人に県が贈る賞でその趣旨は、
「障害のある人たちが塙保己一という先人のみならず、同じ障害のある方々の活躍を通じて、
自分の将来の夢や希望を描くことができるチャンスにあふれる共生社会づくりを推進する。」です。
また川越市には人名がフルネームで入った日本唯一の学校「塙保己一学園」があります。

◆塙保己一と彼が遺したもの
塙保己一は1746年、埼玉県本庄市児玉町で生まれました。7歳の時に病気で失明しますが、
一度聴いた話を全て記憶する超人的な記憶力の持ち主で、15歳の時に江戸に出て学問の道を志します。

大変な苦労の末、盲人の最高位である検校(けんぎょう)になります。
そして失われてしまう可能性がある日本の歴史を「世のため後(のち)のため」に残したいと34歳の時に決意し、
古今の分散した書物を集めて25のジャンルに分類した群書類従(ぐんしょるいじゅう)を40年かけて
編纂(へんさん)しました。

※補足:当時の書物は武家や商人の家に点在して残っており、何かを調べるにもまずは書物の持ち主を探さないと
調べることができなかった。
さらに、長期間蔵に置かれた書物はネズミにかじられたり、火災で焼失したりと月日が経つにつれ消滅する危機があった。
保己一は世の中のすべての書物を一同に集めて内容を精査して、すぐに探せるよう分類分けし、版木にしていつでも
製本できるようにして後世に残す決意をする。


46歳の時、火災で自宅が全焼し、それまで作った版木のほとんどが消失します。
それでも保己一はあきらめず、時の老中松平定信(寛政の改革の実行者)に日本の歴史・文化を守る必要性を訴えて、
幕府から土地を借り、門弟の教育所、群書類従編纂の作業所、作った版木を置く文庫(図書館)の機能を合わせた
和学講談所を設立。幕府から運営の補助金も毎年出してもらえるようになり、現代で言うところの国が支援する事業へと発展しました。

目の見えない保己一は人に本を読んでもらい記憶します。
一度聞いた書物の内容は決して忘れず、内容もすべて頭の中で分類されていました。
まさに江戸時代の人間コンピューター。頭の中の書物をどの分類に入れるかは保己一が門人たちに指示します。

またAパターン、Bパターンなど何通りか存在する書物の内容は、保己一が頭の中で整理して標準化した
ストーリーに修正し、話して(アプトプットして)門人に聞かせ、保己一が話す内容を正確に紙に書き留めます。
当時は人間がプリンタでした。

その書き留めた文章を同じ建物内の作業場にいる版木職人に渡して反転させた字で木に彫りこんでいきます。(版の作成)
その枚数17,000枚以上。両面刷りなので34,000ページ以上の膨大な量の書物です。

保己一は版木を作るとき1枚の板が20字×10行を横に2段で掘るように指示しました。
これが現在私たちが使っている原稿用紙の原型になっています。
本庄市児玉町にある塙保己一記念館の駐車場は原稿用紙のデザインです。

ジャンル別に分類された版木の書物は、いつでも必要な時に取り出して墨を塗って紙に印字できるようにしました。
これは現代のオンデマンド印刷のシステムと同じです。

保己一は集めて整理した書物を誰もが読めるようにした図書館(情報開示)の機能と、
いつでも必要な書物をすぐに本にできる出版社の機能を同時に実現しました。

1800年代前後、世界のどの国にもないシステムだったと思います。
保己一がこの二つのシステムを同時に実現した点はもっと高く評価されていいと思います。

多くの人の助けや協力が無くては絶対に出来ない一大事業を、江戸時代の盲人の保己一が実現できたのは、
ひとえに「必ず成し遂げる」と言う保己一の強い思いに周りの人間が協力を惜しまなかったからではないでしょうか。

渋谷の温故学会には保己一の残した版木が保管、管理されていて、現在でも版木から刷った書物を購入することができます。
ヘレンケラーは小さいころから母親に「塙保己一先生をお手本にしなさい」と言われて育ったそうです。
彼女は日本に3回来ていますが、昭和12年の最初の訪問の時、温故学会に寄り塙保己一の像に手で触れています。

保己一の業績は、江戸時代以前の文献を一堂に集めて整理し、歴史と文化の消滅を防いだ事。
学びたい人であれば、誰もがいつでも昔の文献から情報を取り出せる環境を作ったこと。
歴史と文化を伝承し、日本の文化が広がる基礎を作ったことではないかと思います。(※深谷市の渋沢栄一のサイトより参照)
小笠原諸島の世界遺産登録、荻野吟子の日本初の女医誕生、誰もが知る浦島太郎やかぐや姫などのおとぎ話、
原稿用紙の原型の作成など、その業績は現代に生きる私たちにも大きな影響を与えています。

渋谷の恩顧学会に行くと今でも保己一の残した版木が16000枚残されていて、版木から製本した本を買う事が出来ます。




参考文献
江戸時代の出版(ウィキペディアより)
日本の白歴史

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Viscuit(ビスケット)で子供... | トップ | 楽習館年賀くじ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

教室日記」カテゴリの最新記事