作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 旧満州国新京の櫻木小同窓会 】

2013-02-07 16:11:12 | 02 華麗な生活

久しぶりに、出席の皆さんから「若い人」と呼ばれた。

終戦当時五年生だったボクが第11期生で、中に二名の
2期生が居る会だから、78歳のボクは「若い人」に成る訳。

関西支部の会だったから、同期生は関西支部長の内布氏
だけで、顔見知りは五名程。一期上の梅原さんは、同じ
熊野丸で佐世保に帰国した仲間。新京を出てから上陸を
許されるまで、日記を付けて居られたそうで、93日掛かる
長旅だったと、ボクが覚えていない事もよくご存知。

二期先輩の前田さんは、お父上の関係で、戦後も抑留され
中共の教育を受けられた方だ。

終戦時の一学年違いは記憶に置いても大きな差がある。

特に前田さんは、新京改め長春陥落の時まで居られたから、
長春の周りを、共産軍に囲まれて、蒋介石の国府軍が兵糧
攻めで陥落する間に、国府の発行した軍票が十億円札まで
出して、それで蒸しパンが一個という体験も持たれておる、
まさに餓死者の群れの中からの、歴史的な脱出者である。

なまじ共産主義教育を受けたから、今の中共は大嫌いだと
明確におっしゃる。凄い先輩だと、お会いする度に思う。

梅原さんとは、実は住まいが背中合わせの位置にあったのに、
子ども時代には、お互いに知らなかった。共通の知人が昨年
死亡されたし、戦後同じ英語塾にボクも暫く通い、戦前の中学
一年が習った、クラウンリーダーが教材だった。
その先生の名を鯨井省三と、これはボクの方の記憶に有った。

帰国の船も、陸軍が保有した熊野丸という航空母艦で、共に
伝令として、艦内を走りまわされる日々であった。

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