昔の奉天は今の中国では瀋陽市と呼ばれている。
その瀋陽で当局による栄養許可や衛生管理を巡り、
臨時休業する店舗が急増し、その数が一万軒を超えたと
報道されている。
ボク等が居た辺りには、そんな非衛生な店舗は無かった。
日系の百貨店も複数である、綺麗な街であった。
新京は、特別市でいわば東京都新京区とでも呼べる地域で
あったから、当時の日本には無かった、地域暖房地域まであった。
我が家は戸建だったから、広大な庭もあり、暖房には石炭を
使うスチーム・ボイラーがあった。
近所の数軒で一人の満州人ボイラーマンを雇っていた。
福島県で故郷を追われた人々と同様に、敗戦で見知らぬ淡路島
に帰国の形で行ったが、夜の暗さと冬の寒さには驚いた。
満州では窓は二重窓で、暖房が効いていたから、冬でも薄着で
寝ていた。淡路では玄関の戸も、隙間風が入り込み、よくぞ
こんな文化果てる国が、物資豊富なアメリカと戦争をする気に
なったものだと痛感した。
三十歳に達し、ドイツに勤務したが、空港からハンブルグの中心部
に至る道路から見える家々を眺め、「ああ、新京に帰って来た」と
思ったものだった。
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