作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 新・腰痛治療日記(8) 】

2010-01-12 11:55:11 | 08 腰痛治療日記

手術当日の麻酔の効きすぎで、昏睡状態から覚めず、
やむなく人工呼吸器を取り付けられて、深夜にいたりようやく
目覚めたとまでは、先述しました。
手術に要した時間は、たったの1時間半だった。
「神の手」ドクターの神技を物語っています。

さて「藤古川」とは何ぞや?
「これは苦しいやろ」と人工呼吸器を外してくれた麻酔科の
先生に、その翌日になってもボクは真顔で
「先生、ボクは藤古川の畔をさまよっていました」
「は~ァ、藤古川って、それ何ですか?」

これは訝しがる方が正常で、ボクがオカシイのです。
眠っている間は酸素量も少なくてすむ。
なまじ目が覚めて、当直のナースがやってきて何かと話し
かけるから、それに応答しようとすると人工呼吸器で供給
される酸素量では足りないわけ。

で、ボクは酸欠で大いに苦しんだ。
手術は大成功だったのに、酸欠で死んだんじゃ笑い話に
しても悲しい。
だけど、あの十時間足らずが、ホントのボクの危機。
そんな中での幻想が、ボクの意識では藤古川。
世間様では「三途の川」というらしい。
それを渡っていたら、あの世とやらに行ってしまい現世とは
サヨナラだった。

ハナシに聞いていた「お迎え」がなかった。
現れたのは甲冑姿の(戦闘中の)武士。
そやつが「この川を渡るに及ばず」と言ったからボクは渡ろう
としていたのをやめた次第。

「お迎え」があるとしたら誰が来てくれたろう。
小五で急逝した母であったか。
ソ連軍が満州になだれ込んできた8月9日。
その直後から始まった在満州の日本人の悲劇。
それを知らずに38歳で急逝した母は8月1日が命日。
だから平時のままで、葬儀もできたし火葬もできた。
引揚時にボクの胸に遺骨があった。

母は6人の子を産み、うち4人に幼児のまま死なれた。
気の毒な人生であったが、ソ連軍の暴虐の限りを見ることなく
死んだから、それが幸せと言えるだろう。

妻が言っていた「お迎えには当然お母さんが」は実現しなかった。
だから、こうしてまたブログを書いている。


                     パパゲーノ


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