時の流れは早い。ボクの中の「藤古川の戦い」はすでに
七ヶ月半も昔の出来事になっていた。
さて、それからのボクの身の上に起こったことを・・・
手術は大成功だった、と過去形で書いてももう許される
であろう。06年4月に初めて治療らしい治療を受けた
時のことを次の(7)に持ってきます。尾骨の部分に受けた
神経ブロック注射の痛かったこと。今も忘れられません。
涙を流して泣きました、ホントに。毎週一回その痛い注射を
打ちに行く心境は、まさに屠所に引かれる仔牛のようだった。
♪ドナ、ドナ、ドゥナのメロディが流れていた。
「神の手」ドクターは多忙な方だから、11月までは月一の
診察だったものが、次回は今月16日と二ヶ月を空けての
ことになっている。殆ど自力で歩けるようになったボクの
現状を早くお見せしたい。
残念なことに副作用があった。前に書いたとおり、ボクは
腎臓の機能不全で透析を受ける一級障害者。
だから透析を続けながらの手術だったのだ。その手術は
みごとに成功したのとウラハラに内科的な大問題が起きて
しまった。血圧の急上昇というとんでもない副作用だった。
透析医が変わったことで、血圧を安定させていた内服薬が
すべて変更されたことによる。
新たに処方されたクスリたちにボクの身体が激しく抵抗した。
血圧が230を越える形で、抵抗の姿勢が現れた。
血圧230ともなれば、いつ脳内出血が起きても不思議
ではない。元の処方に戻して欲しいとボクは求めたが、
この病院には独自のポリシーがあるからと拒絶された。
じゃあ230にまで駆け上がった異常血圧はこのまま
放置するのか。
整形外科の手術にはリハビリの併行が義務付けされていた。
が、230もある血圧を見て、リハビリ担当がビビった。
そりゃそうだろう、リハビリの最中に脳内出血で死亡となれば
怖くて手が出せなかろう。
六ヶ月入院のスケジュールで手術を受けたボクだったが、
異常血圧の放置のままじゃ殺される。だから一ヶ月少々で
逃げ出すことにした。
6月21日に退院は強行された。ドクターも婦長も何度も
念を押した。
「くれぐれも転倒しないように」と。
ボクは焦っていた。早く元のクリニックに戻り、内服薬処方を
元に戻してもらいたい。焦りの原因はまだあった。
有力週刊誌による取材が7月冒頭に用意されていた。
一年少しで七冊の著作を出版し有力書店の店頭を飾った
ボクは「年間世界一の多作著者」としてギネスブックの
認定をも受けていた。
焦りまくっていたから、あれだけ注意されたのに、退院後の
一ヶ月で何度も転倒して、身体中が打撲によるアザだらけ
になっていた。
パパゲーノ
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