作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 幼き日々のこと (6) 】

2007-03-25 13:50:53 | 12 幼き日々のこと


幼稚園には行かせてもらえなかった代わりに、
子供用に発行されていた小学生新聞を購読して
いて、難しい漢字にはフリガナがあったから、
結構早い段階で字を覚え、幼年倶楽部も毎月
買ってもらっていた。

読んでいて分からないことが多かった。
笹舟を作って小川に浮かべるとあるが、笹が無い
から、どんな物なのか想像がつかない。

七夕に柳の枝を切ってきて、そこに短冊を吊るす
とあるが、満州には柳の木が無い。柳とは似ても
似つかぬドロヤナギという樹木があるが、太く
ゴツイ木で、到底短冊なんか吊るせるとは思え
ないのです。

囲炉裏も分からんし、サクラも無かったんじゃ。
ウサギを追う山も無ければ、小鮒を釣る小川も
無い。

幼年倶楽部、後に少年倶楽部に昇格したが、裏
表紙に値段が書いてあり、内地は幾ら、満州・
朝鮮・台湾・樺太・千島は幾らと、別価格が記載
されていた。嫌でもボク等は内地の外、植民地に
居るんだと思わされた。

漫画の人気は高く、中でも「のらくろ」「冒険ダン吉」
が大人気だった。他に「タンクタンクロー」とか
「小熊のコロスケ」などもあったと記憶する。

父は漫画は低俗と決め付け、一切の漫画本の購入
を許さなかった。だから幼年倶楽部・少年倶楽部に
掲載されていた漫画しか知らない。

やがてボクも小学校入学の年来に達し、平安小学校
に入学する。ドイツとの同盟の影響か、この年から
小学校の名を国民学校に変える。だから正式には
国民学校生徒になったのです。

前年まで「読本」の第1ページは、サイタ サイタ
サクラ ガ サイタだったのに、アカイ アカイ
アサヒ ガ アカイに変った。

♪国民学校、一年生という歌があり、
♪我等在満小学生という歌も教えられた。

一年生の受け持ちは鈴木先生という男の先生だっ
た。だけど一年生の記憶が殆ど無い。何時の発症
かは知らぬがジフテリヤに罹って、隔離病棟に入れ
られたのです。運動会も学芸会も全く覚えていない。
これは不幸なことです。

ボクは赤ん坊のときにしょう紅熱に罹っている。
だから二度目の法定伝染病で、助からないと皆が
思ったらしい。それまで読みたくても読めなかった
漫画が多数差し入れられた。ボクは大喜びしたが、
無事退院となったときに、すべて焼却されてしまい
ました。

なお、一年生になった4月に弟が生まれています。

                            パパゲーノ



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