作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 肥前の人 (二) 】

2008-05-24 11:59:50 | 04 時事ニュース

つい先だって、長崎の人と博多で会い、いっぺんで親しい
友人となった。それで肥前にまつわるハナシをと島原の乱
をブログに書いた。

肥前は明治なって、二つの県に分かれた。
長崎県と佐賀県である。
今回は佐賀県について、少しだけ語る。鍋島藩については、
また「歴史エッセイ」の中に書き入れるつもり。

敗戦の翌年、新京を五月末に離れたものを、佐世保に上陸の
許可が出たのが八月に入ってからのことだった。
検疫で一人でもコレラかチブス菌の保有者がいたら、船ごと
港湾の外に出される。祖国の山並みをそこに見ながら、大勢が
栄養失調で亡くなった。

ようやく上陸が叶い初めて見る鬼畜米兵に、DDTの白い粉を
頭からたっぷり掛けられ、元の海軍の兵舎に一晩置かれて、
それぞれが落ち着き先に向かった。
我が家の落ち着き先は淡路島だった。

肥前山口という名の駅がある。
そこに二人の肥前人が、ボク等家族の到着を待っていてくれた。
縁戚といっても、遠い遠い関係に過ぎないのに、しばらく有明海
を眺めながら休養しなさいとの、有難い申し入れだった。
駅まで持参してくれた、ピカピカに光る純米のおにぎりに、ボクは
歓喜した。中身が紫色のサツマイモの蒸かしたものが、また滅法
美味かった。

出迎えてくれた方の名を、澤山勘兵衛さんといい、肥前七浦村の
村長さんであった。
ボクの一家は澤山さんのお宅で一週間ほどお世話になった。
毎日白いご飯と旨い味噌汁、そして活きの良い魚料理でもてなされ、
勘兵衛さんのご親切に涙した。
当時の有明の海は、松岡とかいった悪徳政治家もまだ生まれても
居らず、自然の遠浅で、泥んこになって大人も子供も漁をしたりの
この世の楽園だった。
村長さんの寄人と知ってか、子供たちも皆が親切で、引揚の苦労を
慰めてくれた。
ボクはあの海岸の村を再訪したいと念じながら、未だに果たせない。

勘兵衛さんには、当時東京で勉学中の息子さんがあり、彬さんという
その方に、大人になってから一度だけお会いした。
ボクのはかない記憶の中で、澤山彬さんは東証一部上場の機械
メーカーの社長さんだった。その社名をたしか日本精機または
東京精機といったと思う。
グーグル検索では出てこない。すでに故人となっておられる。
ぜひ一度、今は鹿島市の一部になっている、かの地に足を運び、
澤山家のお墓の前で、深々と頭を垂れて当時のご親切に心からの
御礼を申し述べたい。

肥前の人は、長崎も佐賀も等しく心優しい。




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