32年ぶりだと言うが、はて32年前って、そんなに老人が居たっけ。
82年ならボクが商社トーメンを退社して、大阪人が言う「川向う」に
小さなオフイスを構えて、ひとりでキリキリ舞をしていた頃だ。
まだアジアに工場を移す話も聞いたことがなく、現場で働く労働者が
不足する話もなかった。
あの頃から、ハビコリ出したのが、人材派遣なるピンハネ屋の横行だ。
大型倒産は始まっていた。
ボクが「管理職経験者歓迎」と募集をかけたら、二百名程も応募者が
あり、慌てて最寄りのホテルを借りて、事業内容を説明したりしていた。
ただしその二百名は、四十歳代、五十歳代の人たちだった。
希望する年収はとの設問に、五千万円と書いたキチガイも混じっていた。
ソフトバンクや楽天が登場するのは、もっと後になってからだ。
リクルート事件が発生する前に、銀座にあったリクルート本社の上階で、
いろんな大学の先生や、経済雑誌の記者たちが集まる研究会に、
ゲストとして呼ばれ、ボクの眼の前に座っていた、青木雨彦という当時の
著名人から、「人を集めるのがタイヘンだろう」と訊ねられたのが、84年
だったと記憶する。
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