作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 働かないサラリーマン (1) 】

2006-10-27 16:56:17 | 12 幼き日々のこと


大家族主義と終身雇用制、それが日本式経営と
良いことのように喧伝されていた時代。

どこの会社にも窓際に座っていて副か次のつく肩書き
を持つ人々がいました。

ボクが新入社員として配属された毛麻部にも、
部長の他に副部長2名、次長も2名いました。

毛麻部は何て読むのって聞かれたから、ここでお答えを。
字の通り、羊毛とその製品、毛織物・毛糸の国内と輸出。
プラス麻類の輸入を担当する部。

当時「関西五棉」と称された、東棉・日綿・江商・丸紅・
伊藤忠の各社には毛麻部がありました。ケアサブと呼ぶ。

さてボクの部のエライさんたちだけど、二人の副部長と
次長の一人は、それぞれ課長兼務だから仕事がある。

残る一人の次長は仕事が無いのか、毎日ボクを観察して
文句を付ける。

靴を磨いていない。

ネクタイが汚れている。一本しか無いのか。

髪に油っけがない。分け目がハッキリしない。

メガネが曇ってる。

毎日シャツを替えろ。

おまえなぁ~、他に仕事ないのかよ。

ボクが嫌いなのかと思えば、そうでもないらしく、
5年ほど経ったら、頻繁に見合い話を持ってくる。

それも多くは社内の、ボクが先刻承知の娘たち。

○○課の○○って子、知ってるか。あの子は○○会社
の常務の次女で、あの通りの美人だ。どうだい?

どういう意味ですか?

いや、キミの結婚相手にいいんじゃないかと。

同じようなことを相手にも言ってるらしく、
顔をあわせるとポッと赤くなる。
ついこの間まで、西宮寮にやってきてはテニス教えろ
と言っていた子が、モノを言わなくなった。

そんなことが5~6回ありました。

会社環境がだんだん厳しくなって、窓際オジサンの席
がなくなり、やがて肩叩きという言葉が流行り、それでも
最初のころは子会社が用意されていた。

役職者だけじゃなく、ヒラリーマンも、窓も電話もない
牢屋みたいな一室に押し込められるようになった。

立派な名前の一室。「人事開発室」

30代半ばで、ここに放り込まれ、60才の定年まで
居座ったオトコが居た。

たいていは一年もたたずに諦めて退社する。

20年以上、孤独に耐え抜いて給料もらい続け、ボーナス
も額は少なかったろうが。

もちろん仕事なんか与えられない。
あそこまで行くと尊敬の対象になる。

♪サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだって
 気楽なバカ声で唄っていたのが居ったなぁ~。




                                       パパゲーノ

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