地震というものは海底のプレートが動いて起きるものと思って
いたのが活断層によると知ったのも、阪神・淡路の大震災だった。
阪神間と淡路島の全部が、震度7に見舞われたわけではない。
地震自体による人身被害が最も大きかった東灘区でも、道路を
一本越えるだけで、被害の様は大きく違った。
神戸市をJRが東西に分けているが、JRの南側が概して被害が
大きく、阪神電車の走る辺りがもっと、大きく殆どの家が倒れていた。
道も液状化でボコボコになった。
一方山手を走る阪急電車の沿線では、それ相応に強く揺れたとは
思うが、家の倒壊は殆ど見ることがなかった。
震度とマグニチュードは、全く別の基準である。
JRの南側には、震災から二ヶ月経っても、喫茶店の一軒すら
営業はなし。
ところが阪急の岡本駅の辺りでは、元に変わらぬ着飾った
女性客が優雅にお茶を愉しんでいた。
隣接する芦屋市や西宮市では、南北でこの差がもっと多かった。
芦屋市の一部は、芦屋川の西側にある。神戸市東灘区と隣接
している。
清水町・津知町などは、まさに瓦礫の山と化し、どこに家が
あったのか、どこに道があったのかの区別もつかなくなっていた。
武庫川を渡って、尼崎市に入れば、喫茶店どころか朝飯を
食わせる定食屋までが営業をしていた。
阪神間といっても、受けた影響は全然違ったのである。
同じことは淡路島にも言える。淡路島は琵琶湖とほぼ同じ
面積で、シンガポールとも等しい、
被害が大きかったのは、北淡路で瓦葺の木造住宅の殆どが
全壊したが、南部の洲本市などは、被害が少なく温泉街などは
風評被害を嘆いていた。
震災から十日ほど経って、会社時代の先輩から電話があったが、
「お~い、どこかでメシでも食わんか」には驚いた。
こんな終戦直後みたいな神戸の、どこに行ってメシを食うというのか。
カレは殆ど被害なんかなかった山手に事務所を構え、西宮の
山麓からタクシーで通勤する身分だったから、JRが通る中心
部の惨状を知らなかった。
震度7の場所もあれば、同じ区内でも、せいぜい震度4ぐらいで
済んだ場所も混在していたのだ。それが神戸の震度7であった。
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