作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 震度7を体験して 】

2012-03-09 09:21:46 | 02 華麗な生活

地震というものは海底のプレートが動いて起きるものと思って
いたのが活断層によると知ったのも、阪神・淡路の大震災だった。

阪神間と淡路島の全部が、震度7に見舞われたわけではない。
地震自体による人身被害が最も大きかった東灘区でも、道路を
一本越えるだけで、被害の様は大きく違った。

神戸市をJRが東西に分けているが、JRの南側が概して被害が
大きく、阪神電車の走る辺りがもっと、大きく殆どの家が倒れていた。
道も液状化でボコボコになった。

一方山手を走る阪急電車の沿線では、それ相応に強く揺れたとは
思うが、家の倒壊は殆ど見ることがなかった。

震度とマグニチュードは、全く別の基準である。

JRの南側には、震災から二ヶ月経っても、喫茶店の一軒すら
営業はなし。
ところが阪急の岡本駅の辺りでは、元に変わらぬ着飾った
女性客が優雅にお茶を愉しんでいた。

隣接する芦屋市や西宮市では、南北でこの差がもっと多かった。
芦屋市の一部は、芦屋川の西側にある。神戸市東灘区と隣接
している。
清水町・津知町などは、まさに瓦礫の山と化し、どこに家が
あったのか、どこに道があったのかの区別もつかなくなっていた。

武庫川を渡って、尼崎市に入れば、喫茶店どころか朝飯を
食わせる定食屋までが営業をしていた。

阪神間といっても、受けた影響は全然違ったのである。

同じことは淡路島にも言える。淡路島は琵琶湖とほぼ同じ
面積で、シンガポールとも等しい、

被害が大きかったのは、北淡路で瓦葺の木造住宅の殆どが
全壊したが、南部の洲本市などは、被害が少なく温泉街などは
風評被害を嘆いていた。

震災から十日ほど経って、会社時代の先輩から電話があったが、
「お~い、どこかでメシでも食わんか」には驚いた。
こんな終戦直後みたいな神戸の、どこに行ってメシを食うというのか。

カレは殆ど被害なんかなかった山手に事務所を構え、西宮の
山麓からタクシーで通勤する身分だったから、JRが通る中心
部の惨状を知らなかった。

震度7の場所もあれば、同じ区内でも、せいぜい震度4ぐらいで
済んだ場所も混在していたのだ。それが神戸の震度7であった。




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