裁判官が作成する判決文って難しい文章でわかりづらいですね。
(自分の読解力のなさを敢えて棚に上げて・・
)
一文が長すぎるため主語と述語の対応をぱっと理解できません。
「可能性がないわけではないが、」などの二重否定が多用されることも特徴の一つです。
読んでいて正直疲れます。
正確さに万全を期すためには、ある程度仕方ない面もあるのでしょうが。
裁判官や検察官、弁護士さんからすると、司法試験に合格するために
たくさんの論文を書いているし、読み慣れていて特に気にもならないのでしょうね。
私達のような一般の人は、意味が分からなければ法律家に翻訳してもらえばいいってわけです。
同じことが国の定める法律や地方自治体が定める条例、規則にも言えます。
素人にとっては非常にわかりづらい。
市議会に提出される条例改正のための議案は、法制執務上のルールとして
通常「改め文方式」で作成されますが、これには専門的な知識が必要です。
このしくみを維持するためにどれだけの人、時間がかかっていることか。
判決文も法律も条例も規則も、もっと普通の文章にしてみたらどうなるんだろう?
一般的な柔らかい文章で書いてもOKだし、極論すれば、話ことばでも意味さえ通じればOKとする。
一般の人も簡単に理解できるようになると、もっと政治や裁判が身近な存在になって、
関心も集まるのではないでしょうか?
■参考
どうして裁判員制度を導入したのですか。(裁判所のページより)
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どうして裁判員制度を導入したのですか。
これまでの裁判は,検察官や弁護士,裁判官という法律の専門家が中心となって行われてきました。
丁寧で慎重な検討がされ,またその結果詳しい判決が書かれることによって高い評価を受けてきたと思っています。
しかし,その反面,専門的な正確さを重視する余り審理や判決が国民にとって理解しにくいものであったり,
一部の事件とはいえ,審理に長期間を要する事件があったりして,
そのため,刑事裁判は近寄りがたいという印象を与えてきた面もあったと考えられます。
また,現在,多くの国では刑事裁判に直接国民が関わる制度が設けられており,
国民の司法への理解を深める上で大きな役割を果たしています。
そこで,この度の司法制度改革の中で,国民の司法参加の制度の導入が検討され,
裁判官と国民から選ばれた裁判員が,それぞれの知識経験を生かしつつ一緒に判断すること
(これを「裁判員と裁判官の協働」と呼んでいます。)により,より国民の理解しやすい裁判を
実現することができるとの考えのもとに裁判員制度が提案されたのです。
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裁判員制度が導入されて、刑事事件は、徐々に分かりやすい文章になってきているようです。
好ましい傾向だと思います。
民事は旧態依然のようですが。