小樽のパパの子育て日記

日々のできごとを徒然なるままに2006年から書いて18年目になりました。
ヤプログから2019年9月に引越し。

竜宮祭

2009-06-22 06:23:07 | インポート
日曜日、葵が竜宮祭のこども御輿に





最初のころは笑顔でしたが





けっこう距離があり、途中休憩も




神社に到着したころには、みんな汗びっしょりで



クタクタでした。


夜は久しぶりに和楽へ



プリプリのホタテがおいしゅうございました


今朝は5時起きで3日ぶりのラン30分。
雨やら何やらでサボっていたためか体が重かったです。

さあ今日からまた1週間が始まります。
がんばろう!


おどける二人

2009-06-17 18:35:22 | インポート
朝の二人



新しい帽子をかぶってにっこりの遥と



謎のJリーガー


市立小樽美術館30周年記念特別展「画家たちのパリ」7/20まで



図録購入。




1920年代のパリは、《エコール・ド ・パリ》と呼ばれる多国籍の芸術家たちが個性を競い、他に類を見ない国際的な芸術の都として世界中の憧れの地となっていました。この時代、日本でも画家を志す若者にとっての渡仏は、特別 な意味を持っていました。
 北海道で最も早い洋画展「羊蹄画会」(1970)を結成した、長谷川昇、小寺健吉、工藤三郎もまたパリに憧れ、先を争うように、海を渡ってフランスの美術と現地の生活に触れ、その表現方法を自らのものにしようとしたのです。彼らは小樽が繁栄を極めた黄金期に、それぞれ裕福な家庭に育ち、時を同じくして東京美術学校(東京芸術大学)に学び卒業後、それぞれパリを目指します。滞仏期間は、長谷川昇が一足早く(1911-1915、1921-1922)、小寺健吉(1922-1923、1927-1928)、工藤三郎(1920-23)となっており、広い意味で、パリの開放的な空気の中で制作した異邦人の一群に含まれていたと言えるでしょう。
 本展は第1部「青春の巴里-小樽の外遊画家たち」、第2部「エコール・ド・パリの群像」の2部構成により、小樽から渡仏した3人の洋画家と、1920年代、第一次大戦後の開放感と、押し寄せる大恐慌という不安定な要素を抱えた時代のなかで、芸術に身に捧げた一群の画家たちを照会するものです。故郷を離れ、異邦人としてパリに定住することによって育まれた、それぞれの個性豊かな世界をどうぞご鑑賞ください。
~市立小樽美術館HPより


6/16

2009-06-16 21:57:18 | インポート
朝里のカラオケボックス



うたいまくる二人。


今日、バレエのあとで。



かなと3人仲良しだねえ。




朝里の一期一会



お食事券当たれ当たれ



土曜日の朝、祝津











「あおちゃんになぞなぞ出すよ。
とりはとりでもごみをたべるとりはなんだ?」」

(正解は「ちりとり」」を想定していたんですが・・・)

葵「そんなの簡単でしょ!」



「カラスでしょ!」

・・・・お、おみごと