調べ物をしていたら出てきた自分が持っている数少ない免許証。

無線従事者免許証。第1級アマチュア無線技士。
小学校のときに電話級を取得したアマチュア無線。
最初のうちは全国各地との交信で満足していたのだが、
一度ソ連との交信に成功してから味をしめ、
次第に海外とのDXにハマっていった。
当時、電話級では出力電力に限界があったので(10Wまで)、条件が揃わないと
海外と通信することはなかなか大変なことだった。
そのため、500Wまで出すことができ、かつ、海外との通信に適している14MHZ帯の
運用が可能な1級の資格にチャレンジすることを決意。
勉強の日々が始まった。
筆記試験である無線工学と法規はとにかく丸暗記。
実技試験であるモールスは、欧文(ABC)はよかったのだが、
和文(イロハ)に苦戦するも実践で技術を磨いた。
(現在の試験は欧文のみ25字/分だそうですが、
当時の試験は、欧文60字/分、和文50字/分程度の速さだったと思う。)
最初の試験で実技試験のみ合格し、2回目は筆記試験のみを猛勉強。(中2の冬)
中学3年になった春に合格通知を受け取ったときのうれしさと言ったら。
毎日夜中まで(朝まで)ヘッドフォンとマイクとモールス。
北米や欧州方面の交信に飽きたらず、中南米、南アフリカなど、ときにはロングパスも使って。
世界150カ国(地域)以上との交信達成により贈られるアワードを狙っていた。
モールス信号は、今考えるととてつもないスピードで和文・欧文関係なく操っていたと思う。
(普通に欧文200字/分程度。エレキーなしでよく腱鞘炎にならなかった
)
その後、高校に入学するとラグビー漬けの毎日となり、
無線局も廃止、トンツーも忘れてしまいました
あんなに一生懸命だったモールス信号。
自分の言葉のように操っていたモールス信号。
残念ながら、もう今では必要のない技術なのかも知れませんね

無線従事者免許証。第1級アマチュア無線技士。
小学校のときに電話級を取得したアマチュア無線。
最初のうちは全国各地との交信で満足していたのだが、
一度ソ連との交信に成功してから味をしめ、
次第に海外とのDXにハマっていった。
当時、電話級では出力電力に限界があったので(10Wまで)、条件が揃わないと
海外と通信することはなかなか大変なことだった。
そのため、500Wまで出すことができ、かつ、海外との通信に適している14MHZ帯の
運用が可能な1級の資格にチャレンジすることを決意。
勉強の日々が始まった。
筆記試験である無線工学と法規はとにかく丸暗記。
実技試験であるモールスは、欧文(ABC)はよかったのだが、
和文(イロハ)に苦戦するも実践で技術を磨いた。
(現在の試験は欧文のみ25字/分だそうですが、
当時の試験は、欧文60字/分、和文50字/分程度の速さだったと思う。)
最初の試験で実技試験のみ合格し、2回目は筆記試験のみを猛勉強。(中2の冬)
中学3年になった春に合格通知を受け取ったときのうれしさと言ったら。
毎日夜中まで(朝まで)ヘッドフォンとマイクとモールス。
北米や欧州方面の交信に飽きたらず、中南米、南アフリカなど、ときにはロングパスも使って。
世界150カ国(地域)以上との交信達成により贈られるアワードを狙っていた。
モールス信号は、今考えるととてつもないスピードで和文・欧文関係なく操っていたと思う。
(普通に欧文200字/分程度。エレキーなしでよく腱鞘炎にならなかった

その後、高校に入学するとラグビー漬けの毎日となり、
無線局も廃止、トンツーも忘れてしまいました

あんなに一生懸命だったモールス信号。
自分の言葉のように操っていたモールス信号。
残念ながら、もう今では必要のない技術なのかも知れませんね
