おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

「乙女の密告」 赤染晶子

2011年02月02日 | あ行の作家
「乙女の密告」 赤染晶子著 新潮社 11/02/01読了  

 2010年夏の芥川賞受賞作品。

 いいとか、悪いとか、好きとか、嫌いとか―という次元では語れません。
 私に言えるのは、「私には理解不能」ということだけ。

 ネットで検索してみると、結構、専門家の評価が高いみたいです(なにしろ、芥川賞受賞しているぐらいだから、当然か…)。でも、そういう書評を読んでも、私にはまったくピンときません。 

外語大学でドイツ語を学ぶ女子学生がスピーチ大会に向けて練習を重ねるというのが、ベースの場面設定。そのスピーチ大会の課題が「アンネの日記」の暗唱なのですが…正直、「いくらなんでも、女子大生ってここまで幼稚で、アホじゃないでしょ???」とツッコミを入れたくなるくらい、くだらないドラマが展開される。

女子大生の1人がドイツ人の教授とただならぬ関係に陥っているかもしれないという噂話で仲間はずれにしたり、されたりの確執。教授の部屋から出てくるところを誰かに目撃されただけで、「私にも悪い噂が立ってしまうかも」と恐怖に怯える。日経新聞の2010年8月1日付けの書評によれば→【コミカルで乙女チックな少女マンガ風のドラマ】らしいが、そういう学園ドラマ風の出来事なら、大学ではなくて、中学校か高校を舞台にした方がいいんじゃないの??? って感じです。

ドイツ人教授と噂になることで、「乙女」の身分から追放されるかもしれない、教授の部屋にいたことを誰かに密告されるかもしれない―というのを、迫害されていたアンネの恐怖と重ね合わせているらしいのですが… あまりにも、異次元のことすぎて、こんなことを重奏させて何か意味があるのだろうかと、頭の中は「???」でいっぱいになる。

どこかの解説に「ホロコーストの記録としてではなく、少女の成長記としてのアンネの日記と女子大生の日々を重ね合わせている」みたいな趣旨のことも書いてありましたが…。私には、そんな善意の深読みをする能力がありませんでした。

そもそも、登場人物に血の通う人としての実在感がないのです。それが、ジュンブンガクなのか???  登場人物になにがしかの感情移入ができないストーリーって、私の心にはストンと胸に落ちてきません。

「エスケイプ/アブセント」 絲山秋子

2011年02月01日 | あ行の作家
「エスケイプ/アブセント」 絲山秋子著 新潮文庫 11/01/31読了 

 主人公・江崎正臣は遅れてきた革命家だった。

1966年生まれ-ということは、学生運動には完全に乗り遅れている。日本の高度成長期とシンクロしながら育った世代だ。どんどん、日本は豊かになり「ジャパン・アズ・ナンバーワン」ともてはやされていた。高校も、大学も至って平和だった。何かを勝ち取るために戦わなければならないという切迫感はなく、かといって必死に勉強するでもなく、学生は「モラトリアム人間」言われていた。

 そんな世代で学生運動にのめり込んでしまって、はたと「俺って、なにやってんだ」と気付いたのが2006年40歳の年だった。我に帰るきっかけを作ったのが、姪っ子の有理ちゃんがあまりにも可愛かったから-というのが、おかしくも切ない。

 年貢の納め時と悟り、革命運動から離脱して妹が経営する託児所を手伝う覚悟を決めた。「社会復帰」する前のセンチメンタルジャーニーの行き先として選んだのは京都。それは双子の弟が通っていた大学のある町。近親憎悪なのか、弟は、敢えて、兄と違う大学を選び、兄と異なる思想を標榜する学生運動団体に所属した。すれ違ったまま20年以上の時が流れたが、革命は幻想だった-と気付いた今、弟と断絶している理由だってないのかもしれない。

 正臣は旅先の京都でフランス人と日本人のハーフであるインチキ神父に出会う。見た目はフランス人だが、中身は日本人。フランス語はほとんど話せない。通販で買ったコスプレ法衣を着たら、周囲の人が大切に敬ってくれることを知り、味をしめた。以来、聖職者のフリをして暮らす。しかし、インチキ神父のもとには、近所のおばちゃんたちがやってきて讃美歌を歌い、楽しそうにおしゃべりをして帰っていく。

 正臣が拠り所としてきた崇高な革命思想は「有理ちゃんの笑顔」にあっさりと敗れ、インチキ神父はおばちゃんを救う。人間が生きていくための「拠り所」なんて、結構、いい加減なものだ。でも、いい加減だっていいじゃないか。拠り所があることによって、前を向いて生きていけるならば、それで十分なのだ-そんな開き直りと、あっけらかんとした人間の強さが伝わってくるような作品。

 そういえば、大学時代の友人の1人が、学内で声を掛けられて顔を出した「勉強会」でオルグされ、まんまと革命運動にのめり込んでいった。やがて、彼女にとって、カリスマだった運動のリーダーと恋に落ちた。「お金もないし、活動も忙しいし、ホテルに行けるのは月に一回ぐらい」という愚痴を聞いて、「えっ~!? 革命家もラブホテルになんて行くの? 資本主義のゆがみを象徴するような場所を糾弾しなくていいの?」と思わず突っ込んでしまいました。「だって、アジトでは2人っきりになれる時間なんてないし、他にする場所ないんだからしょうがないじゃいないですか」。なるほど、愛は革命思想に勝る。ちなみに、彼女は後にサッカーファンとなり、日の丸のフェイスペイントをしてスタジアムに応援に行っていた。 人間は柔軟で、強いのだ。そして、自分で自分を束縛しなければ、肩の力を抜いて自由に生きられる。

 ちなみに、「エスケイプ」は兄・正臣SIDEのストーリーで、「アブセント」は弟・和臣SIDEのストーリー。2人がわだかまりを解いて再会することができたのかどうかは、どちらのストーリーにも明示的には書かれていない。でも、「きっと、再会できたはず」と信じたくなるような終わり方だった。

 絲山秋子、ちょっとハマりそうです。ぶっきら棒な感じの文章が小気味よくて好きだ!