「びんぼう自慢」 古今亭志ん生 筑摩文庫
1973年に没した落語の大名跡・志ん生の自伝。とてつもなくパンクな生き様である。関東大震災、世間の人たちが家財道具を持ち出し、肉親の安否を確かめようと必死になっている時に「余震で酒の甕が倒れて地面に吸い込まれてはもったいない」と酒屋に走る。酒屋からは「商売どころじゃないから好きにしてくれ」と言われて飲んだ酒が一升五合。太平洋戦争中に「上海に行けば酒はいくらでもある」の言葉に釣られて慰問団に加わり、現地では防寒のためにおかみさんが持たしてくれた股引きを売ってまで酒を飲む。中国で終戦を迎え、寒さと、飢えと、日本に帰れる見通しがつかない絶望感から自殺未遂―。それも、ウオッカのボトルを一気に6本を空けたというからタダモノではない。
パンクでなければ芸人として大成しない、という訳ではないのでしょうが… 自己PRのためにこまめに「つぶやいて」いる最近の芸人さんとはスケールが違ってしょうがないのかもしれないなぁなどと思ってしまいました。
時代が違うと言えばそれまでですが、飲む・打つ・買うの「三道楽免許皆伝」を自認し、そのせいでびんぼうを極めるほどに徹底してやったそうだ。廓遊びを知り尽くした芸人が演る廓話、びんぼうのどん底を見た芸人がやる長屋話に宿る迫真さは、今の芸人がどうあがいても手に入れることができないものだろう。
時間は流れていくし、懐古主義にしがみついているだけでは新しいものは生まれない。そういう環境の中で、古典芸能を保存していくことの難しさを改めて考えさせられる。演者だけでなく、聴く側も郭や長屋など知らないのだから。志ん生には天賦の才能があり、他人には見せぬところで並外れた努力を重ねたのでしょうが…それでも、やっぱり「時代」というものがあったのだと思います。
ところで、スーパー・バンクな生き様を通した志ん生師も、褒賞・勲章をもらって感激している。ここもまた、なんとなく、昭和だなぁという感じがしました。
1973年に没した落語の大名跡・志ん生の自伝。とてつもなくパンクな生き様である。関東大震災、世間の人たちが家財道具を持ち出し、肉親の安否を確かめようと必死になっている時に「余震で酒の甕が倒れて地面に吸い込まれてはもったいない」と酒屋に走る。酒屋からは「商売どころじゃないから好きにしてくれ」と言われて飲んだ酒が一升五合。太平洋戦争中に「上海に行けば酒はいくらでもある」の言葉に釣られて慰問団に加わり、現地では防寒のためにおかみさんが持たしてくれた股引きを売ってまで酒を飲む。中国で終戦を迎え、寒さと、飢えと、日本に帰れる見通しがつかない絶望感から自殺未遂―。それも、ウオッカのボトルを一気に6本を空けたというからタダモノではない。
パンクでなければ芸人として大成しない、という訳ではないのでしょうが… 自己PRのためにこまめに「つぶやいて」いる最近の芸人さんとはスケールが違ってしょうがないのかもしれないなぁなどと思ってしまいました。
時代が違うと言えばそれまでですが、飲む・打つ・買うの「三道楽免許皆伝」を自認し、そのせいでびんぼうを極めるほどに徹底してやったそうだ。廓遊びを知り尽くした芸人が演る廓話、びんぼうのどん底を見た芸人がやる長屋話に宿る迫真さは、今の芸人がどうあがいても手に入れることができないものだろう。
時間は流れていくし、懐古主義にしがみついているだけでは新しいものは生まれない。そういう環境の中で、古典芸能を保存していくことの難しさを改めて考えさせられる。演者だけでなく、聴く側も郭や長屋など知らないのだから。志ん生には天賦の才能があり、他人には見せぬところで並外れた努力を重ねたのでしょうが…それでも、やっぱり「時代」というものがあったのだと思います。
ところで、スーパー・バンクな生き様を通した志ん生師も、褒賞・勲章をもらって感激している。ここもまた、なんとなく、昭和だなぁという感じがしました。