おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

「スリーピング・ブッダ」 早見和真

2010年10月20日 | は行の作家
「スリーピング・ブッダ」 早見和真著 角川書店 2010/10/19読了 

 毎週水曜日のお楽しみ、日経夕刊(10月13日付)の本のコーナーで紹介されていました。ファンキーなタイトルと表紙に心奪われ、即、楽天ブックスで注文。

 正直なところ、色々な要素を盛り込み過ぎて、後半は、若干、ストーリーが破たんしているのではないか-と思わないでもありませんでした。小説としての完成度は、まだまだ高める余地が残っています。しかし、それでもなお、人を引き寄せる吸引力のあるストーリーでした。

 なにしろ、仏教という特殊な世界を舞台にしているものの、突き詰めていえば、青春小説なのです。「生きる」とはどういうことなのか。「死」と向き合うとはどういうことなのか。嫉妬や名誉欲に打ち克つことはできるのか-どんな時代も若者は悩み続けるのです。そして、この物語の中では、本来、救済者であるはずの僧侶に俗世の若者たちと同じように悩み、もだえ苦しみ、無様な姿をさらさせているのが、斬新であり、リアル。

 まだ、私が子どもだったころ、実家では、家族の命日やお盆にお坊さんに来て頂き、お経をあげてもらっていました。子どもにとって法事などというもものは、退屈極まりないはずなのですが、毎年、来て下さるお坊さんは立ち居振る舞いの全てが優雅で美しく、仏さまがそのままこの世に現れたのではないか-と思うほどでした。私は、密かに「菊童子さま」とあだ名を付けて、その姿を見るのを楽しみにしていました。

 寺の跡取り息子であり、やがては住職になるはずだった菊童子さまが自殺したのを知ったのは、新聞の地方版でした。1年にほんの1度か2度姿を見るだけの菊童子さまの心の内側にどんな懊悩があったのか知る由もありませんが、子どもながらに「人を救わなければならない人が自ら生命を絶ってどうする?」と割り切れぬ思いがずっと残っていました。

 「スリーピング・ブッダ」は、寺の次男として生まれた広也と、バンド活動に明け暮れながらもメジャーデビューの夢がかなわなかった隆春の2人が、大学の教室で出会い、共に仏門に入り、辛い修行の日々を送る-というのが前半戦のメーンストーリー。広也は兄が事故死したことで繰り上がりの跡取りになることに。仏門に入ることは子どもの頃からの憧れであったが、住職である父親から期待されていないのではないか、認められていないのではないか-というコンプレックスを持ち続けていた。かたや、隆春は、バンド命でろくに就職活動もせず、あてにしていた父親の経営する町工場の経営も傾き、「ナンカ、安定してそう」という理由で仏教界に興味を持つ。

 つまり、修行僧も、つい昨日までは、普通に町中にいて、悩みを抱えたり、悩むことにすらマジメに向き合おうとしなかった若者であり、俗人の集団なのだ。もちろん、修行を積み、人を救いたいというピュアな思いを持った人もたくさんいるだろう。しかし、人が集まるところにはイジメがあり、権力闘争があり、嫉妬もうずまく。

その中で、どうやって、道を極めていくのか。理想と現実との狭間で揺れる2人。一時は、互いの友情すら信じられなくなってしまうが、共に修行する仲間の一人が自殺未遂事件を起こしたことをきっかけに、再び、求道者として相互の存在を認め合うようになるが…。
物語後半はかなりグダグタ系。先輩も交えて3人で寺の経営に乗り出すものの、それぞれの目指すものが微妙にズレてくる。ピュアであるが故に信徒の期待に必死に応えようとして気が付けばカルト教団の教祖のような存在に祭り上げられてしまった広也。「なんとなく」仏門に入ったものの、教えに目覚め、原理主義者のように教えに忠実であろうとする隆春は激しくぶつかり合うようになる。

もだえ苦しんだ隆春が、最後に行きついた安息の地は、学生時代に大好きだった美鈴先輩との貧しいけれど、幸せで甘い生活。そして、隆春にパワーを与えてくれるのは、一度は諦めた音楽の道。  

 私は、この結末が嫌いじゃない。結局、人間を救うのはそういうものなのだ-と思う。というか、救われるか・救われないか-は最終的には気の持ちようなんじゃないかと思う。

 しかし、この小説、ここまで仏教について、修行生活について熱く語っておきながら、最後の最後に「美鈴先輩、超・愛してる!」で終わっちゃっていいの-??? という余計なお節介的な疑問が湧いてきてまうなぁ。 私自身は、特定の宗教を信じているわけではないけれど、宗教が果たす役割を否定するつもりは全くないし、クリスチャンや仏教徒でなくとも教会やお寺の敷地に足を踏み入れれば厳粛な気持ちになるのは、私だけではないだろう。せっかく、宗教というやっかいなテーマに手をつけちゃったのであれば、「自分が救われる」ための答えだけではなく、「人を救うとはいかなることなのか」というところを、もうちょっと掘り下げてほしかったです。しかも、後半、かなりたくさんの要素を詰め込んだわりには、慌てて終わらせようとしているような印象でした。

 でも、荒削りながら、読み手を引き付けるパワーは感じました。特に、前半は文楽の世界に飛び込んだ若者の奮闘を描いた三浦しをん「仏果を得ず」の仏教版のような印象で、異色青春小説として楽しめました。


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