おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

「春になったら苺を摘みに」 梨木香歩 

2010年04月16日 | な行の作家
「春になったら苺を摘みに」 梨木香歩 新潮社 だいぶ前に読了。

 まだ今年、半分も終わっていないけれど、今のところ、文句なしの今年ナンバーワン。 静かに、深いところから、心を揺さぶられるような一冊でした。

 梨木香歩の代表作の一つ「西の魔女が死んだ」は正直なところ、私のシュミではありませんでした。だから、この本を読み始める時も、さほど乗り気ではありませんでした。しかも、基本的にエッセイってあまり好きじゃないし…。

 著者が英国に留学していた頃の日々の生活、特に、下宿屋の女主人にまつわるエピソードを中心に綴られている。最初は、昔気質で、頑固で、少々変わりモノのおばちゃんの思い出話かと思って読んでいました。

 おばちゃんは理屈っぽい。少々、口うるさくもある。でも、面倒見がいい。たまに、お節介なくらいだったりする。おばちゃんには、誰かを見捨てることなど絶対にできないのだ。だから、近所の鼻つまみモノに手を差し伸べてしまう。刑務所帰りの男が住む場所を求めてやってくれば下宿を提供してしまう。ゲイのカップルが泊まれる場所を必死になって探してあげる。近所の人同士がもっと仲良くなれるように-とお祭りを計画する。

 おばちゃんが親切心でしたことが、必ずしも、いつも報われるわけではない。何度も痛い目にあって、それでも、おばちゃんはやっぱりお節介なぐらいに面倒見がいい。

 著者にとって、おばちゃんは「象徴」なのだと分かった時、このエッセイが、単なる英国暮らしの生活雑感ではなく、静かな叫び声なのだと理解できた。

異国の地の小さな町の下宿で、異なる生活環境の人、異なる宗教の人、異なる考え方の人と共に暮らす。当然、フリクションもある。それでも、人間は「理解してもらいたい」「理解し合いたい」。でも、そのためには、一歩踏み込まなければ何も始まらない。おばちゃんは、「一歩踏み込む」象徴なのだ。

そうだ
 共感してもらいたい
 つながっていたい
 分かり合いたい
 うちとけたい
 納得したい
 私たちは
 本当は
 みな

 平易な言葉なのに、なんて力強く、美しいフレーズなんだろう。

 出版不況と言うけれど、でも、「紙に印刷されたものを読みたい」というニーズは決して消えることがないように思いました。自分の言いたいことを、自分の言いたい時に「つぶやく」だけでは、決して伝わらない、もっと不器用で、醜い感情のぶつかりあいを乗り越えて、人は理解しあえる。いや、もしかして、理解はしあえないかもしれないけれど、それでも、異なる信条、宗教、生き方を尊重することができる-そういう気持ちにさせてくれる一冊です。


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