久しぶりに近所の和菓子屋さんで、おはぎを買った。
小ぶりだったけど、懐かしい優しい味がした。
1年ほど前にホンジュラスの日本人の寄宿先で羊羹を作ったことがある。
日本人には喜ばれたけれど
「あの」ならではの味を出すことは出来なかった。
材料が揃わなかった?わけでもなく
多少豆の味が違うなぁと言うのもあったけれど
一番は空気が違うことだと思う。
何かを食べたいなぁって思うとき、
その食べ物だけじゃなく、その環境で、
そこで食べたいっていうのは大きいと思う。
今じゃ、バリアーダっていう
小麦粉で作ったトルティージャに
フリホーレス(豆の塩で煮たもの)を挟んだスナック?は
飢えているほど食べたい!という一品ではないけれど
ホンジュラスのあの雰囲気を思い出した時
「嗚呼、もう一度食べたいなあ」って沸々蘇る。
二度と同じ環境であり状況下には戻れないからこそ
その時食べた嬉しくも(お腹壊して)苦しくもあったものに
過去を振り返るからこそ
また「試しても良いかな」って思えてくる。
メキシコでも「これぞ心の一品」に出会えるかな?
小ぶりだったけど、懐かしい優しい味がした。
1年ほど前にホンジュラスの日本人の寄宿先で羊羹を作ったことがある。
日本人には喜ばれたけれど
「あの」ならではの味を出すことは出来なかった。
材料が揃わなかった?わけでもなく
多少豆の味が違うなぁと言うのもあったけれど
一番は空気が違うことだと思う。
何かを食べたいなぁって思うとき、
その食べ物だけじゃなく、その環境で、
そこで食べたいっていうのは大きいと思う。
今じゃ、バリアーダっていう
小麦粉で作ったトルティージャに
フリホーレス(豆の塩で煮たもの)を挟んだスナック?は
飢えているほど食べたい!という一品ではないけれど
ホンジュラスのあの雰囲気を思い出した時
「嗚呼、もう一度食べたいなあ」って沸々蘇る。
二度と同じ環境であり状況下には戻れないからこそ
その時食べた嬉しくも(お腹壊して)苦しくもあったものに
過去を振り返るからこそ
また「試しても良いかな」って思えてくる。
メキシコでも「これぞ心の一品」に出会えるかな?