先日は、「法相の署名なくても死刑執行を」「執行の順番は乱数表で」など、死刑の執行についてこだわりのある鳩山法相が、今度は
【死刑執行者にとって抵抗少なく、早く死刑執行を】
と受け取られ得る発言をしています。
(注:「受け取られる」を「受け取られ得る」に変えました)
現状が死刑確定から死刑執行まで時間がかかっていることは確かです。そのことの法との乖離、死刑確定者に不安定な立場を与える、などの批判はあるかも知れません。
でも、それは一面、人の命を奪うことに対する国家の逡巡であり、その権限をになう責任者の人間としての苦悩の表れでもあると思うのです。
これを、「安らかになくなってもらう」というのは、つまり責任者にその抵抗感を少なくするということをも意味すると思うのです。
そして、逡巡することなく、どんどんと執行していく。
ここに乱数表でも使えば、もっとやりやすいということになりますか(苦笑)。
揚げ足取りの、極端な受け取り方・・・との批判を受けるかもしませんし、私の杞憂・思いこみでありたいとも思います。
ただ、、同大臣の発言の流れが、恐ろしいことを秘めている可能性(「可能性」といいたい!)もあることを指摘しようと思いました。
<朝日>
「絞首刑、もっと安らかな方法は」 法務委で鳩山法相
2007年10月24日20時00分
就任以来、死刑執行のあり方をめぐる発言を続けている鳩山法相は、24日の衆院法務委員会での答弁で、死刑確定から執行まで平均で7年以上かかっている現状と、「法相は確定後6カ月以内に執行を命令しなければならない」とする刑事訴訟法の規定とのずれに違和感を示した。そのうえで「短すぎるなら延ばす方法もある」と述べ、期間について見直しも視野に検討していく考えを明らかにした。
法相は執行方法についても言及。「(絞首刑より)もっと安らかな方法はないか、という思いはある」と語った。
【死刑執行者にとって抵抗少なく、早く死刑執行を】
と受け取られ得る発言をしています。
(注:「受け取られる」を「受け取られ得る」に変えました)
現状が死刑確定から死刑執行まで時間がかかっていることは確かです。そのことの法との乖離、死刑確定者に不安定な立場を与える、などの批判はあるかも知れません。
でも、それは一面、人の命を奪うことに対する国家の逡巡であり、その権限をになう責任者の人間としての苦悩の表れでもあると思うのです。
これを、「安らかになくなってもらう」というのは、つまり責任者にその抵抗感を少なくするということをも意味すると思うのです。
そして、逡巡することなく、どんどんと執行していく。
ここに乱数表でも使えば、もっとやりやすいということになりますか(苦笑)。
揚げ足取りの、極端な受け取り方・・・との批判を受けるかもしませんし、私の杞憂・思いこみでありたいとも思います。
ただ、、同大臣の発言の流れが、恐ろしいことを秘めている可能性(「可能性」といいたい!)もあることを指摘しようと思いました。
<朝日>
「絞首刑、もっと安らかな方法は」 法務委で鳩山法相
2007年10月24日20時00分
就任以来、死刑執行のあり方をめぐる発言を続けている鳩山法相は、24日の衆院法務委員会での答弁で、死刑確定から執行まで平均で7年以上かかっている現状と、「法相は確定後6カ月以内に執行を命令しなければならない」とする刑事訴訟法の規定とのずれに違和感を示した。そのうえで「短すぎるなら延ばす方法もある」と述べ、期間について見直しも視野に検討していく考えを明らかにした。
法相は執行方法についても言及。「(絞首刑より)もっと安らかな方法はないか、という思いはある」と語った。
「国民の命を奪うには抵抗少なく」~鳩山法相発言に見えるもの
このタイトルでは、鳩山法相が「国民の命を奪うには」と実際に言ったように読めるのですが、本当にこう言ったのでしょうか。
もし杉浦さんがお考えになったタイトルならば、死刑を廃止するか否かという問題は感情論が支配しがちな問題なので、一部に誤解を生むような扇情的な表現に変えるのはどうかと思いますが。
鳩山大臣の「(絞首刑より)もっと安らかな方法はないか、という思いはある」発言は、どちらかというと「どうせ死ぬのなら安らかに」という程度で死刑囚を(悪い意味で)思いやった言葉、つまり死刑制度の是非を深く考えた言葉ではないような気がします。
とは言え、死刑廃止論者の方々が感情的に反応し、存続論者の方々がそれに感情的に反論するのは明白。それだけに「死刑」については、もっと冷静に討論できるような問題提起をお願いしたいと思います。
でも、死刑問題で、特に鳩山さんが発言されているこの意味は、同氏がそこまで考えているかどうは別にして、国家権力と国民が対峙する非常に重要で危険な問題だということを理解していただきたくて書いています。
安らかな死刑が人道的かどうか、という議論はもちろんあるでしょう。現実に死刑方法によっては残虐な刑罰にあたり憲法違反という判例の見解もあります。
でも、権力の中枢にいる方の発言が、それにとどまらない意味を持つことについても思いいたしておくことは大切だと思うのです。
また、記事の内容で、誤解を招かないように、新聞の引用も載せましたので、たぶん鳩山さんが「抵抗なく死刑にしたい」と発言されたという誤解はないと思うのですが。
なお、鉄甲機さんのコメントを受けて、文中「受け取られる」を「受け取られ得る」に書き換えました。
自分がはんこを押す心理的抵抗を少なくしたいのでしょうか。
それだけ思いやりを示すなら、命令で殺人をやらされる人たちを思いやって、大臣が執行のボタンを押す方式にしたらよいと思います。
杉浦さんが厚労省・社保庁の流れから「国家・官僚は自己保身に走り、国民の生命を軽視している」とお考えなのは承知していますし、それには同意します。しかし死刑に「国家権力対国民」の図式を当てはめるのは、現状無理があるような気がします。将来よほど非道い全体主義国家にならない限り。
と、ここまで書いて気づいたんですが、杉浦さんは別に死刑存廃論の問題提起をしたくてこのエントリーを投入したんじゃないんですね? 国家が国民の生命を軽視している傍証として投入されたんですね?
誤読、申し訳ありませんでした。