今年も例年通り、山さんさんによる杏果生誕祭記念アニメがアップされていました。
確かに杏果は、ももクロの中でもとりわけ異彩を放った存在だったし、自己表現の在り方も他の四人とは微妙に異なっていたかもしれない。
でもそれは、5人の絆にとってなんの支障ともなり得なかったことは、間違いのないこと。杏果の卒業の原因を、4人との関係性に求めることなど抑々無意味です。
それとこれとは、まったく次元の違う話。
他人の想いを100%理解することなど所詮不可能。大事なのは本人の意思だ。杏果はその強い意志で、自らの道を歩むことを決めた。
ならば、それを受け入れる以外に、何が出来よう。
今ももクロを辞めることによって生じる様々なリスクを、杏果はすべて承知していたはずだし、多くの批難がよせられるであろうことも覚悟していただろう。それらすべてを背負う覚悟で、杏果は自分の道を歩むことを決めた。
それはとても、勇気のいることだったに違いない。
むしろ自分を殺してでも、ももクロにいるほうが楽だったはず。でもそれは結果的に自分を裏切り、ももクロを裏切り、モノノフをも裏切ることにつながるのだよ、それがわからんのか!?
杏果はももクロもメンバーも大好きだった。でもそれでも、いやだからこそ、
杏果はももクロを卒業したのだ。
そこに私は、侍の如き雄々しさを見る。
本当にこのアニメの通りだったに違いない。一見孤立しているように見えて、ホントはしっかり4人と繋がっていた。そうして笑顔で、送り出してもらったのだ。
そこには怒りもなければ悲しみもない。ただ、この世の全ての事象はいずれ分かれ行くという、一抹の寂しさはあったろう。
このアニメは、そうしたことすべてを的確に表現しています。流石ですね。
私は「人間」ももクロが好きで、「人間」有安杏果が好きなのだ。
人間には一人一人「意思」がある、人間なるが故に、その意思は尊重されるべき。
アイドルは人形でもロボットでもない。「人間」だ。
私はこれからも、一人の「人間」有安杏果を応援し続ける。
頑張れ、杏果。
※Twitterの件については、オフィシャルブログが閉鎖された時点で事務所等との関係は完全に切れており、杏果は完全に私人となった。これ以上ももクロや事務所に義理立てする必要はなくなっているので、あとは杏果の自由意志にまかせられている。この段階でTwitterをはじめようがどうしようが、なんら問題はないのである。10周年まで待つべきとかどうとか、それは人それぞれの個人的見解に過ぎず、その人が杏果と同じ立場に立った時に、自説の通りにすればいいだけの話である。それを持って杏果を非難し攻撃し、ましてや中傷する権利など、誰にもありはしないのである。
杏果はなにも間違ったことはしていない。これが結論。