ルパン達が何故、命がけでクラリスという少女を守ろうとしたのか。以前にも書いたかとおもいますが、それは一言でいえば、クラリスの中に「聖母」を見たからなのだろう、と思う。
「性」を超越した「聖」なる母性。男の中には永遠の「聖母崇拝」がある、なんてことをおっしゃる方もおられます。なるほどクラリスはアニメであるがゆえに、永遠に変わらない「聖少女」の姿をした「永遠の聖母」たりえた。
少女の「聖性」と母の「聖性」と。両方を持ちえたクラリスは、ある意味アニメ史上最強のキャラクターであり、永遠に崇拝され続ける、と言っていいのかも知れない。
ルパン一味は、聖母である聖少女を守るために、その聖性を奪い、犯そうとする邪悪な存在、カリオストロ伯爵に命がけで立ち向かっていく。
そのクラリスの存在を強調するためか、この作品ではいつもならフェロモン過剰気味の峰不二子は、その色っぽさを抑えられ、「女戦士」としての面を思いっきり強調されて描かれています。そして他の男どもとは微妙に目的が違うとはいえ、クラリスに対しては含むところなく、素直に味方になっていく。
過剰な「性」は排除され、ひたすらクラリスの「聖母性」「聖少女性」を強調し、その魅力を徹底的に描いていく。
宮崎駿の理想が、ある意味もっとも素直に表現されたのが、クラリスという聖少女なのでしょう。
アニメであるがゆえに、クラリスは永遠の理想像足り得た。
しかし、現実にはそうはいかない。
少女は必ず、大人になっていきます。
突然父を交通事故で失い、一人ぼっちとなってしまった女子高生、星泉(薬師丸ひろ子)に舞い込んできた、ヤクザの組長の跡目。
たった4人の「目高組」組員たちは、先代組長の「血縁の者に後を継がせる」という遺言を頑なに守ろうとし、たった一人の血縁者である泉に、組長襲名を要請しますが、当然ながら断られます。
もはやこれまでと、組員たちは対立する組に殴り込みを掛けて死のうとします。
このバカな男たちを放っておけなくなった泉は、やむなく目高組組長を襲名してしまいます。
このときから、泉は4人の組員たちの「母」になるんですね。
『セーラー服と機関銃』という映画は、この少女から大人の女への階段を登ろうとしている、揺れ動く世代の少女の中にある「母性」を描こうとした映画なんじゃないかと、私にはそんな風に思えるんです。
さて、クラリスと星泉の最大の違いは、当然ながら一方はアニメ、一方は実写ということです。
クラリスはアニメであるがゆえに、永遠に変わらずにいられる。しかし星泉は違う。星泉というより、薬師丸ひろ子ですね。薬師丸ひろ子という少女は、確実に成長していくわけです。
大人の女性へ、確実に成長していく。
その成長していく過程で、この世の穢さや、人間の穢いサガを知っていく。
そうして自分自身も、少しづつその穢れを受け入れていく。
目高組若頭、佐久間(渡瀬恒彦)と謎の女マユミ(風祭ゆき)がセックスをしているところを目撃してしまう泉。
「汚いよ、まるでケダモノじゃない!」といいながらも、佐久間の中に言い知れぬ切なさを見る泉。
父を亡くした泉にとって、佐久間は父のような存在であり、組員としては子のような存在となっており、そんな佐久間に、なんともいえぬ愛おしさ、本当の母のように慈しむ思いが芽生えていたのでしょう。
遥か年上の男性の「母」となった泉が、そこにいました。
この映画に登場する男どもは皆、この泉の持つ「母性」に惹かれていきます。
一番年少の組員メイ(酒井敏也)は、「かあちゃんの匂いがする」といって、母親にすがる幼子のように泉に抱き着きます。そこに性的な欲望はなく、ただただ母に甘える幼児のように、泉の胸の中に抱かれるのです。
その直後、メイは敵対する三大寺組の組員に射殺されてしまう。
三大寺組組長(三国連太郎)は、人が苦しむ姿に快感を覚えるという変質者。子を慈しむ母にとっては憎むべき相手。
もう一つの敵対するヤクザの組長、浜口(北村和夫)は泉の処女を奪うことに執心し、その聖少女性を犯そうとする狒狒爺。やはり憎むべき相手。
自らの聖性を守り、共に成長していくために
泉は、怒りの機関銃をぶっ放す。
この作品の監督、相米慎二氏の膝にちょこんと座って、無邪気な笑顔をこちらに向けている薬師丸さんの写真をみたことがあります。
その膝に乗られた監督の、恥ずかしいようでうれしいようで、それでいて、どこか切なげな目が印象に残っています。
この無邪気な少女の中に見る、大人の女性の萌芽。
どうかこのまま、まっすぐに育ちながら、大人の女性としての母性を開花させてほしい。
そんな思いが、その目線の中に、あったのかもしれません。
現在、母親を演じることの多くなった薬師丸さんですが、あの星泉の可憐さはそのままに、見事に母親になっている、そんな印象を受けます。
バカな男どもの永遠のあこがれ、永遠の聖母。
どうか薬師丸さんには、「日本一の母親女優」になってほしいね。
聖少女はこうして聖母となった。
はて?私は一体、なにを言っているのやら……(笑)
でも本当は、母性というのはすべての人間一人一人の中にあるものなんだよね。
バカな男どもの中にも、母性はちゃんとある。
誰かの中に見出そうとするんじゃなく、自分の中にある母性をこそ、大切に育てなきゃ。
己の外側に母性を追い求める限り、バカな男どもは
永遠に救われないんだよね。
己の中の母性を大切に。