大河ドラマ『麒麟がくる』第4話に、石つぶてを投げる謎の集団が出てきました。
石を投げるといいますと、なんだか子供の遊びのようにも思えますが、これだとて精度を上げれば、人をも殺しうる武器となります。往古日本では、これを「印地打ち」といい、戦場において兵法の一つとして使われていたそうです。
石を使った戦法は弥生時代にはすでにあった。この戦法は戦国時代にあっても結構使われていたらしく、武田信玄の軍勢にこの「印地打ち」を使うものがいたという記録が残っているそうです。
どこからともなく石つぶてが「飛ぶ」現象。「飛礫」などととも言われるこうした謎の現象は、古今東西を問わず見られたようです。
日本に於いては「天狗飛礫」などとも呼ばれるこうした現象。近年においては「ポルターガイスト現象」の一つではないかと言われているようですが、いずれにしろこのような超常現象を、古代日本人は「神の表われ」であるとして畏れました。
こうした観念から、石を投げる行為を「神事」として行う神社も数多くあったようです。熱田神宮などはその代表だったようです。
これが11世紀ごろになると、興福寺などの僧兵が「神仏の意志である」と称して、この石打ちを強訴に使うなど、ある種の武器として使われる頻度が多くなっていった。13世紀ごろには、印地打ちを職能とする集団「印地の党」なるものが存在し、南北朝動乱などで活躍したらしい。
飛礫は神の意志であるが故に、神の意志は南朝と北朝といずれに在りや!?そのような意味も含めて、印地の党の活躍があったもの、かも知れませんね。
石打ち、飛礫は神事であった。では具体的にはどのようなことが行われていたのでしょう?
代表的なかたちとしては、2チームに分かれて石を投げ合う「石合戦」を行い、この勝敗によって吉凶禍福、豊作不作を占う、というものだったようです。
石を投げ合うわけですから、当然かなり危険。双方とも勝とうとして本気になりますから、けが人が出ることは勿論、死者が出ることも度々でした。
鎌倉幕府により、この石合戦は禁止されますが、幕府の支配の行き届いた関東では効いたものの、関西では逆に、神事を行わないと祟りがあるとした庶民からの猛抗議が寄せられ、幕府は禁令を緩めざるを得なかったようです。
京都・祇園祭なども、戦国時代のころの祭りは殺伐としたもので、神の権限であると称して飛礫が飛び交った。当然ケガ人や場合によっては死者も出た。これが元で多くの喧嘩沙汰や殺生沙汰が絶えないものだったらしい。
江戸時代に至り、徳川幕府によって完全な禁止令が出されるまで、京都辺りでは結構大規模な石合戦が行われていたようですね。
徳川幕府による禁令後も、他愛無い子供の遊びとしての石投げは、絶えることなく行われ続けたのでしょうね。私が子供の頃などは、河原の石を拾って川面に向かって投げ、水面を跳ねさせる「水切り」なんて遊びをしたものです。
最近では河原に下りることさえ禁じられた川が多くなってしまって、イマドキの子供たちは水切りなんてやっているんでしょうかね?
それはともかく、このように石打ち、飛礫、印地打ちには、子供の遊び、神事、戦場における武器、戦術といった様々な側面があったということです。
いままで戦国時代を扱った時代劇には、こうした「印地打ち」「印地の党」といったものが具体的に描かれることはほとんどなかった。そういう意味では、今年の大河ドラマに、印地を打つ謎の集団が出てきたことは、画期的であるといえます。
ネット上では、この謎の集団と、岡村隆史さん演じる菊丸との関係性や、菊丸の正体について様々に憶測されているようです。「菊丸忍者説」「菊丸服部半蔵説」等々取り沙汰されているようです。
今年の大河は、奴隷として売られていく人々が描かれていたり、行く先々で通行税が取られたり、今まであまり描かれることのなかった戦国時代の実態が描かれていて、非常に興味深いですね。まだ4回しか放送されていませんが、今年の大河は
面白い。
薬草売りに変装して尾張に潜入する、明智十兵衛光秀(長谷川博己)と菊丸(岡村隆史)この後、織田信秀の刺客に襲われ、絶体絶命のピンチとなった時、謎の「印地打ち」集団に救われます。
菊丸とは一体何者?番組プロデューサーによれば、あと1ケ月もすれば正体がわかるそうです。
それまで待て!
いや、ほんと、今年の大河は
面白い!
武器としてはもちろん、神事としても取り入れられていたのですね!
岡村さんの正体は何なのでしょう!?
ホント大河は楽しみですよね〜♪( ´θ`)
印地打ちを職能とする集団がどういう出自であったのか、これも気になる処、考察し処ではありますね。