風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

終戦の日に

2018-08-15 00:00:00 | つぶやき





小学校の頃、国旗掲揚、国歌斉唱のときに、直立不動の姿勢をとる年配の女先生がおられました。


他にそのような姿勢をとる先生などおらず、我々生徒たちは、その先生をなんとなく怖く感じていました。


あの時、あの先生は、なにを思って国旗を見上げていたのだろう。国家を歌っていたのだろう。









私の通った中学校の教頭先生は、特攻隊の生き残りでした。

授業中には常に、古い教科書をガムテープでぐるぐる巻きにして棒状にしたものを手にし、我ら生徒がなにか不始末をやらかすと、その棒で思いっ切り頭を叩かれたものです。今だったら間違いなく「暴力教師」として問題にされたでしょうね。


おおらかな時代でした。


ある時、その先生は授業中に一本の手ぬぐいを持ってきて、我々に見せてくれました。


真ん中に日の丸と「神風」という文字が染め抜かれたその手ぬぐいには、多くの人達の名前と、持ち主へのメッセージが、細かく沢山書かれていました。


それは特攻隊員であった教頭先生の私物であり、書かれていた多くの名前とメッセージは、先生が出撃する際に、隊の仲間たちが寄せ書きしてくれたものでした。



その授業のとき、教頭先生がなにを語ったのか、まったく憶えていないし、自分がなにを感じたのかも覚えていない。あの時の自分にとっては、それほど意味あるものだとは思えなかった、ということでしょう。

そんなもんですね。



今にして思う、あの時教頭先生は、どんな思いで我々にあの手ぬぐいを見せたのか、改めて訊いてみたいと。



当事者でなければわからないこと、というのはあるもので、我々はそれを後から、書物や映像で観て、分かったような気になっているけど、


本当はなにも分かっていないのかもしれない。



それでも、それでも、


自分が感じた素直な思いは、大事にしていきたい。






悠久の昔より現在に至るまで、あらゆるいくさに命を散らしたすべての方々の、ご冥福を。



人というもの残酷さ、どうしようもなさ、そうした負の側面をすべて知った上で、それでもやはり、



人というものの幸せを、




思いたいものです。