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【私たちは舞台の上でなら、どこまででも行ける】
映画『幕が上がる』は、10代の少年少女達なら誰でも持っているであろう、言い知れぬ焦燥感や、自分が何者なのか、何者になっていくのかわからない不安感だとか、拭いきれぬ孤独感だとか、そうしたものを抱えながらも、それでも部活という「目の前のこと」に、その時出来る限りの精一杯のことをぶつけることで光輝いていく少女達の姿を描いた映画です。
ネタバレになっちゃいますが、彼女たちが全国大会に行けたのかどうか、わからないまま映画は終わります。映画の主眼は勝ち負けではないんですね。もちろん本人達は勝ちたいと思ってる。勝つことを目標としてる。それはそれで良いんです。
でも映画の主眼はそこにはない。
成るか成らぬかわからないけれども、それでもあきらめずに挑戦し続ける姿の美しさをこそ描きたかったのであって、だからこそ、ももクロが主演として「選ばれた」とも言えましょう。
♪勝つか負けるかそれはわからない それでもとにかく闘いの 出場通知を抱きしめて あいつは海になりました♪
(作詞 作曲 歌 中島みゆき「ファイト!」より一部抜粋しました)
ですから映画では、彼女達が宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」を基に創作した舞台劇の内容について、あまり触れられていないんですね。この映画にあえて苦言を呈するとしたら、私はその点を挙げたい。
この舞台劇「銀河鉄道の夜」の持っている主題と、『幕が上がる』の物語が持つ主題とは見事にシンクロしている。この両者を映画の中でうまく並立させることが出来たなら、もっとその主題が明確になり、映画全体もかなり面白く仕上がったのではないだろうか。なんてことを、素人のクセして生意気にも考えております。
そこがどうにも、もったいない、惜しい気がして仕様がないんですね。
舞台劇のシーンはほぼ全編撮影しているはずなのに、映画ではほとんど使われていない。あるいはDVD発売時に初回限定盤の特典として、その舞台のシーンを付けるつもりか?なんてことを勘ぐってしまっておる今日この頃、ではあります(笑)
それはともかく、主人公ジョバンニが親友(死者)カンパネルラとの、銀河鉄道の旅を通して得たもの。それは、今まさに青春を駆け抜けんとすろ少女達の想いと、見事にシンクロしています。
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カンパネルラ「ねえ、ジョバンニ、宇宙はどんどん膨らんでいるって知ってた?」
ジョバンニ「なに?」
カンパネルラ「宇宙はどんどん、生まれたときから、どんどん膨らんでいるんだ」
ジョバンニ「どういうこと?」
カンパネルラ「だから、僕たちはどこにも行けない。どこまででも行ける切符を持っていても、宇宙の端にはたどり着けない」
ジョバンニ「カンパネルラ」
カンパネルラ「僕たちはいつも一緒だけど、でも僕たちは離ればなれだ」
ジョバンニ「どうして?」
カンパネルラ「宇宙が膨らんでいくように、僕たちの間も広がっているんだ」
ジョバンニ「そんなことないよ、だって、」
カンパネルラ「本当だよ」
ジョバンニ「そんなことない、だって、ほら、(ジョバンニ、カンパネルラの手を握る)ほら、僕たちはこうやってつながっている」
カンパネルラ「……うん……うん、そうだった」
ジョバンニ「僕たちは、いつもつながっている」
(平田オリザ作、小説『幕が上がる』講談社文庫刊より一部抜粋しました)
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宵闇迫る無人駅で、百田夏菜子演じる高橋さおりと、有安杏果演じる中西悦子が語り合う場面。中西が「人は一人だよ。宇宙でたった一人だよ」空を見上げながらぽつりとつぶやく。その隣へ並んださおりが「でもここにいるのは二人だよ」と笑顔で語りかける珠玉のシーンと、上記のシナリオは見事にシンクロしているんです。ここを上手く並立させて描けたらなあ、と、難しいことはわかっていますが、ついつい思ってしまいますねえ。無い物ねだり、ではありますが。
拭いきれぬ孤独感。何者になっていくのかわからぬ不安感。なにをすべきかわからぬ焦燥感。そんな感情に苛まれながらも、それでも人は、この宇宙の「どこまででも行ける」切符を渡されて、この世に生まれてきている。
永久に宇宙の果てへはたどり着けない。それでも、いやだからこそ、
人は「どこまででも」行ける。
【私たちは舞台の上でなら、どこまででも行ける】
【永久の未完成これ完成である】
宮澤賢治
カンパネルラはすでに死んでいます。だからジョバンニは、本当にカンパネルラと別れなくてはいけない。最初はそれを受け入れられなかったジョバンニですが、やがて受け入れられるようになっていく。
大人になっていく。
【大人になるということは、人生の不条理を、どうにかして受け入れる覚悟をすることです】
(小説『幕が上がる』より)
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ジョバンニ「カンパネルラ、僕は今日の学校での最後の時間、本当は眠っていませんでした。いや、眠っていたのだけれど、君の声に起こされた。
君は僕をかばってくれたけど、でも君は、君と僕は一つではないと言った。僕は、とても悲しかった。悲しかったけど、本当にそうだと思った。
どこまでも。どこまでも一緒に行きたかった。でも、一緒に行けないことは、僕も知っていたよ。
カンパネルラ、僕には、まだ、本当の幸せが何か分からない。
宇宙はどんどん広がっていく。だから、人はいつも一人だ。
つながっていても、いつも一人だ。
人間は、生まれたときから、いつも一人だ。
でも、一人でも、宇宙から見れば、みんな、一緒だ。
みんな一緒でも……みんな一人だ」
遠くの高く積み重ねたキューブの上に、カンパネルラが立って手を振っている。
ジョバンニ「カンパネルラ!」
カンパネルラ「…………(クルミを叩く)」
ジョバンニ「クルミだ!(ジョバンニも、ポケットの中からクルミをさがし出す)このクルミは、確かに僕の手の中にある。カンパネルラ、僕もずっと持っているからね」
カンパネルラ、手を振る。
ジョバンニ「カンパネルラ!
また、いつか、どこかで!」
大きく手を振る二人
(同)
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人は一人だ。でも、一人じゃない。
何者になるのかわからない、どうなって行くのかわからない不安、何をするべきかわからない焦燥、拭いきれぬ孤独。
それでも人は、どこまででも行ける切符を持って生まれてきた。
だから進め。永久に辿り着けない果てに向かって。
それが「生きる」ということ。
それが「青春」
少女達よ、今しかない「青春」の真っただ中で
光り輝け!
映画『幕が上がる』絶賛公開中。