日本人の生命観、美意識というものは、変化して行くものにあるようです。
春夏秋冬の四季の移り変わりの中で、春に萌えた若葉が、夏の盛りを過ぎて、秋には枯葉となって散り、冬を迎える。しかし翌年の春には再び若葉が萌える。永遠にこの繰り返し。
日本人の生命観、美意識はこうした大自然の移ろい行く在り様によって形成され、そこへさらに、仏教の無常観が導入され、さらなる深化を遂げた、と考えられます。
変化し続けるものこそ美しい。「完成」されたものはある意味「止まって」しまったもの。そこに変化はありませんから、日本人はあまりそういうものを好まないように思われます。
常に変化し続ける。それは常に発展し続けるということでもあります。先人達から伝えられてきた者を大切にしつつも、決して一か所に留まらず常に発展し続ける。時には「外」から来たものを導入しながら。
そうやって、日本の文化、伝統というものは形作られてきた、と、私には思われます。
大自然の変化の中で、最も劇的な時期は、やはり若芽が成長し若葉となって萌える頃。人間でいえば幼少期から青年期にかけてではないでしょうか。
若者がなにかに一生懸命打ちこんでいる姿は、とても心を打つものがあります。もちろん大人が頑張っている姿だって素晴らしい。素晴らしいけれども、若者のそれには、また格別のものがある。
プロ野球に興味はないけれども、高校野球は好きだ、という人は多いです。これなどはまさにその典型でしょう。まだ完成されていない若者達が、勝ち進むことを夢見て戦い続ける姿は、涙が出るほどに美しい。
日本独自のアイドル文化というものも、実はこれと同じ文脈で語れるのではないでしょうか。
アイドルというものは本来、「偶像」「憧れるもの」を指す意味で、それが芸能関係で用いられるようになって「人気者」を指すようになった。アメリカではフランク・シナトラのような大物歌手をも「アイドル」と呼んでいたようです。
これが日本では、70年代頃から主に十代前後の若い人気タレントを指して言うようになります。当時の「アイドル」は本当に歌が下手、演技も下手な人が多かった。とても大人の鑑賞に堪え得るものではない人も結構いたわけです。
実際には歌の上手い、演技力のあるアイドルもいたのでしょうが、やはり「悪い」印象の方が強く残る。それにアイドルというものは、同世代かそれ以下の世代の子供達が夢中になるもので、大人が興味を持つものではないという社会通念がありましたから、そうした諸々の事どもが、「アイドル」=「稚拙」「程度が低い」というイメージを作り上げてしまった。
しかし先述したように、日本人には変化・発展していくものを愛でる文化がありましたから、実際にはアイドルを心の中で応援していた「大人」達も多くいたことでありましょう。それこそ
甲子園球児達を応援するように。
時は移ろい、社会通念、一般常識というものも徐々に変化していきました。
「萌え」などという言葉が生まれ、いい大人がアイドル好きを公言して憚らなくなった。
この「萌え」にしても、日本人が古来より培ってきた生命観からすれば決して唐突なものではなく、なるべくしてなった言葉だと言えましょう。
萌える若葉を愛でる心は、甲子園球児を応援する気持ちに通じ、それはアイドルを応援する気持ちにも繋がって行く。
こうした流れに乗っかったかたちで生まれた最大のアイドルこそ、
ももクロ。ももいろクローバーZなのです。
モノノフ達はこぞって「ももクロちゃん達を性の対象としては見ていない」と公言しています。
これこそが「萌え」の「萌え」たる所以。
若葉が成長していく様、萌える命が躍動する様を愛で、応援する。これは日本人古来の伝統的な生命観、美意識に正しく由来したもの。
いい大人がももクロを応援する行為は、実は日本の伝統文化に正しく裏打ちされたものなのです。
どうだ、凄いだろ!(笑)
ですから「アイドル映画」というのは、この「若葉」の時期、「萌える」命の躍動をいかに上手く、映画として切り取れるかが要、なのでしょうね。
そういう意味でも『幕が上がる』は大成功なわけです。
結局、ももクロ話でありやす(笑)
先達へ、敬意を込めて。