昨年夏にこのブログで全33回に渡って記事にした『紀伊半島一周の旅』。
そこで和歌山県の熊野三山のひとつ、熊野速玉大社を紹介しましたが、お蔵出しの写真も加えて再録増補版を記事にしました。
2018年8月
熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)は熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ;イザナギノミコト)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ;イザナミノミコト)を主祭神としています。
熊野三山の熊野本宮大社、熊野那智大社が山の中にあるのとは対照的に速玉大社は新宮市の街中に鎮座してました。
熊野神宝館
神宝館の前にあった像
一見、中国の武人のようにも見えますが、武蔵坊弁慶の像です。
弁慶の生涯は謎に包まれてますが、そのルーツは熊野速玉大社に仕えた鈴木一族という伝説もあるそうです。
摂社の熊野恵比寿神社と新宮神社。
境内にそびえる樹齢およそ千年と云われる梛(ナギ)の大樹は熊野権現の象徴として信奉されてます。
古来から道中安全を祈り、この葉を懐に入れ熊野詣ですることが習わしだったそうです。
熊野速玉大社参詣曼荼羅
大社の右横に描かれているのは熊野川ですね。
熊野川はかつて水運交通の大動脈でしたが、暴れ川でもあり、昔から度々大洪水をもたらしてきました。
2011年の台風12号の集中豪雨では熊野川の氾濫で新宮市でも甚大な被害が出ました(紀伊半島大水害)。
訪れた少し前には台風20号で熊野川中流域が氾濫し被害がありました。
手水舎で手洗いの作法を見ながら・・
神門
熊野速玉大社拝殿・本殿
朱塗りの社殿と後ろの木々の緑のコントラストが素晴らしい
自然信仰が根付く熊野の神倉山ゴトビキ岩に神々が降臨し、景行天皇五十八年、現在の地に真新しい宮(新宮)を造営して神様をお迎えしたことが熊野速玉大社の起こりです。
熊野信仰とは元来、自然をご神体とする信仰に始まり、それが神社神道へと型を変えて現在に至ったものです。
ご利益は富貴隆昌、現世安穏、災厄除け、縁結び、病気平癒などなど。。
ここから1kmほどのところに神々が降臨したゴトビキ岩を祀る神倉神社がありますが、まだ行ったことはありません。
コロナが終息したら一番に行ってみたい場所のひとつです。
熊野三山、高野山、吉野大峯の霊場とそこへ向かう参詣道は2004年にユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道(熊野古道)』に登録され、この熊野速玉大社ももちろんその世界遺産の構成資産のひとつなってます。
新宮市の指定天然記念物 オガタマノキ。
西日本以西に分布する暖地性のモクレン科の木で、その名前は神の魂を招く「招霊(オギタマ)」に由来してます。
熊野速玉大社御幸(上皇や法皇が外出されること)の碑。
鳥羽上皇、後白河上皇、後鳥羽上皇は20回以上の熊野詣を行ってますね。
都からおよそ1か月かかる行程なのに凄い回数です。
源平合戦から承久の乱など世の中が乱れている頃の上皇だから、神様にすがりたかったのかな あるいは現実逃避?(笑)
おしまい
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