2021年9月 日野ひばり野公園(滋賀県蒲生郡日野町)
買い物のついでに立ち寄った滋賀県蒲生郡日野町上野田にあるひばり野公園。
日野祭祭禮渡御の御旅所になってるこの広場は雲雀野(ひばりの)と呼ばれてます。
このひばり野公園には今も日野町民に愛されている戦国武将、蒲生氏郷(がもううじさと)公の銅像が立ってます。
蒲生賢秀の三男として日野で生まれた氏郷は後に織田信長の家臣として武功を上げます。
初陣で功績を立てたあとに信長の娘冬姫を妻にし、日野に戻ったとされてますが、信長家臣団として各地を転戦する日々が続きました。
本能寺の変で信長が斃れると、安土城から信長の妻子を救って日野城で庇護し、明智光秀に対峙します。
豊臣秀吉の家臣になった後も様々な戦で功績をあげ、会津73万石の領地を与えられ、徳川家康、毛利輝元に次ぐ大大名となりました。
文禄の役で会津から九州へ向かう途中、中山道武佐宿(近江八幡)あたりからふるさと日野の綿向山を眺め、望郷の歌を詠んだ時の姿がこの銅像のモチーフになってます。
公園の横にある和菓子屋さんには蒲生氏郷まんじゅうの幟が掛かってました。
日野の町で見つけた鬼滅の刃の炭治郎と禰豆子の飛び出し坊や(笑)
飛び出し坊やの世界まで進出してきた鬼滅ブーム恐るべしです。
水口岡山城跡(滋賀県甲賀市)
滋賀県甲賀市水口町にある標高282mの古城山(大岡山)。
この古城山の山頂にはかつて水口岡山城がありました。
天正13年(1585年)に豊臣秀吉が甲賀郡と蒲生郡の一部を支配させるために、家臣の中村一氏に命じて水口岡山城を築かせました。
その後、1595年には豊臣五奉行のひとり、長束正家が5万石で水口岡山城に入りました。
古城山の南西側からえっちらおっちらと登り坂を進み、山頂の城跡を目指してみます
穂徳稲荷神社(滋賀県甲賀市)
開けた曲輪跡にお社がありました。
この穂徳(ほとく)稲荷神社は明治時代中期に伏見稲荷大社から勧請された神社のようで、比較的あたらしい神社でした。
白玉稲荷神社(滋賀県甲賀市)
穂徳神社のお隣にあったのは白玉稲荷神社。
天照皇大神や出雲大神、猿田彦命大神、菅原道真大神、石見不動尊などたくさんの神様の名を記した碑が立ち並び、まさに神様のデパート状態
欲張りさんにはピッタリの超パワースポットでした(笑)
白玉社の裏手にも登山道が続き、一応これが大手道らしいんですが、草ボーボー。
コロナの影響で草刈などの手入れが行き届いてないのかな?
蜂やらヘビが居そうなので、山頂行きはここで断念しました。
コロナ禍2回目の秋・・・
甲賀中央公園(滋賀県甲賀市)
滋賀県に出されていた緊急事態宣言は9月末に解除され、コロナ新規感染者も減っていき、ようやく一息つける状況になりました。
運動公園にも久しぶりに歓声が戻ってきました。
つづく
過去記事<Memories of vacations in 2021(7)>
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