お気楽忍者のブログ 弐の巻

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2021 お気楽行楽記総集編 その5

2021年12月15日 17時00分00秒 | 行楽・旅行記4

2021年2月

六道珍皇寺

臨済宗建仁寺派 大椿山 六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)にやってきました。

創建は延暦年間(782-805年)とされ、開基は奈良大安寺の住持で弘法大師の師にあたる慶俊とされています。

平安京の墓地だった鳥辺野に至る道だったことから、この周辺は六道の辻と云われていました。

そう、まさにここは現世と冥界の境(辻)と考えられていた場所でした。

迫力のある閻魔王像

そして、小野篁(おののたかむら)の像。

小野篁は平安時代初期、嵯峨天皇の朝廷に仕えた役人で、文武両道に優れた人物だったそうですが、かなり自由奔放な性格だったようで奇行も多かったとされてます。

また、小野篁は閻魔王宮の役人とも云われ、昼は朝廷役人、夜は閻魔庁で閻魔王の助手を務めていたという伝説があります。今で言う副業サラリーマンですね(笑)

小野篁の顔、管理人が知ってる人にめっちゃ似てて、思わず笑ってしまいました

本堂裏手の庭園には小野篁が冥界の閻魔庁へ出勤するのに使ったという井戸(冥土通いの井戸)がありました。

また、2011年には隣接する民有地(旧境内)で井戸が見つかり、伝説にある篁が冥界から帰ってくる時に使ったと云われる黄泉がえりの井戸ではないかと考えられてます。

六波羅蜜寺

西国三十三箇所十七番札所 真言宗智山派 補陀落山 六波羅蜜寺。

住宅街の中にあって、塀も鉄柵・・・

古刹であり有名な六波羅蜜寺のイメージとは随分違ってました

歴史の教科書にも載ってた空也上人立像はこの六波羅蜜寺にあったんですね。

踊り念仏で知られる空也が平安中期の天暦5年(951年)に造立した十一面観音を本尊とする道場に由来する寺院です。

空也は疫病が蔓延した当時の京都で、その観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、病人に茶をふるまって多くの人を救ったと云われます。

空也上人、今のコロナ禍の世界も救ってください

五条大橋は牛若丸(源義経)と弁慶が出会った場所。

五条通(国道1号線)の中央分離帯にはこんなに可愛らしい牛若丸と弁慶の像がありました。

東本願寺

JR京都駅の北およそ500mのところにある真宗大谷派本山 真宗本廟(東本願寺)。

東本願寺は親鸞の亡き後に宗祖を慕う多くの門弟によって宗祖の遺骨を大谷(東山山麓)から吉水(円山公園付近)に移し、廟堂を建てて影像を安置したことに始まります。

それ以降、場所はあちこちに移り、戦国時代に大阪にあった頃は織田信長と対峙して敗れ、再び京都に移り、現在の地に落ち着いたのは慶長9年(1604年)だそうです。

JR京都駅前、京都タワーに着きました!

距離はおよそ8km、3時間半の行程で京都東山周辺をぶらぶら歩いて巡ってきました

つづく

過去記事<2021 お気楽行楽記総集編 その4

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (まめ吉)
2021-12-16 01:54:43
お疲れ様です。
まあ盛り沢山な内容で、京都に行きたい気持ちを煽られまくってます。(笑
早く行かないとまたコロナで緊急事態宣言が出ないとも限らないですからね。
オミクロン株とかも蔓延しないと良いのだけれども…
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Unknown (masa)
2021-12-18 11:38:46
まめ吉さん>
お疲れ様です。
今年は京都の中でも観光客がどっと押し寄せる場所じゃなく、街中にある社寺を巡ってきました。
まだ不透明感がある世の中ですが、またコロナが流行らないことを願うばかりです。
来年はまた皆さんとお会いしたいですからね!
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