ドーマンセーマンは魔除けの印
星型のセーマンは平安時代の陰陽師 安倍晴明が用いた五芒星(あるいは清明判、清明桔梗)に由来するとされ、右の縦5本、横4本の線は、修験道で呪力を持つとされる九字(臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前)を表し、ドーマンの名は清明のライバルであった蘆屋道満に由来すると言われてます。
鳥羽市立 海の博物館(三重県鳥羽市)
展示B棟
海の博物館の展示B棟は、豊かな漁場である伊勢湾での漁に関する展示がされてました。
海女さんは海に潜る時に襦袢や手ぬぐいにドーマンセーマンを描き、魔除けとしているそうです。
鳥羽や志摩の海では古くからトモカツギと呼ばれる海の妖怪伝説があり、この怪異から逃れるため、ドーマンセーマンを身に付けます。
昨年、京都の清明神社を訪れ、セーマン(五芒星、清明判)のことをブログで紹介しましたが、この伊勢の海では今だリアルにその呪力が活きている場所であることに妙な感動を覚えました
漁の後に暖をとる海女小屋
志摩半島には、約514人(2022年、海の博物館調査より)の海女さんが今も健在で、海女文化をユネスコ世界文化遺産に登録する運動も始まっているそうです。
海女さんの装備を紹介したコーナー
アワビおこしと呼ばれる道具でアワビを剥ぎ取る体験が面白かった。
アワビの裏の磁石が鉄板にくっ付いているという仕掛けでしたが、実際はもっと力がいるんでしょうね。
海女の漁獲物カレンダーを見ると、今の時期はアワビやとこぶしを採ってるみたいですね。
そう言えば、昨夜のホテルの夕食ビュッフェでアワビってあったかなぁ
南海トラフ地震注意情報が出た今年の夏、こういった展示はドキっとしてしまいます。。
2011年の東日本大震災の津波はこの鳥羽の浦村町にも押し寄せ、津波の威力で折れた牡蠣の養殖筏のイカリが展示されてました。
昔のカツオ1本釣り漁の様子
御座船の模型
九鬼水軍を率いた九鬼嘉隆は、九鬼氏の11代目当主で志摩国を治めた大名でした。
織田信長の配下として、天正2年(1574年)の信長による伊勢長島一向一揆の鎮圧では、海上の船から射撃を行うなどして織田軍を援護し、敵陣攻略に活躍しました。信長亡き後は秀吉の家臣となり、朝鮮出兵では水軍の総大将として戦功を挙げました。
関ケ原の戦いの時、すでに隠居していた嘉隆は西軍につきましたが、西軍が敗れると、志摩の和具で自害しました。家督を継いでいた子の守隆は家康の東軍に組していて、後の大坂の陣では海上封鎖などの役目を担い、江戸城築城では資材の海上輸送に協力しました。
つづく
過去記事<海の博物館が素敵だった件>
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