朝日新聞社が「日本のいまとこれから」をテーマに郵送方式による全国世論調査を実施したところ、「いまの日本は自信を失っている」とみる人が74%に達し、90%以上の人がこれからの日本に不安を感じていると答えたことが分かった。
一方で、回復する底力があるとみる人が半数以上おり、日本の将来のあり方としては、経済的豊かさよりも「格差が小さい国」を求める意見が70%を占めたとのこと。
これは非常に悩ましい結果だ。
「日本が自信を失っている」と答えるのは理解できる。
この20数年を振り返ってみてもこれといった良いニュースはなく、さらにこの数年間ではあのイタリアを上回る回数で首相が変わる始末だからだ。
しかし、「格差が小さい国」を目指すことが重要だというのは如何なものか。
私は拙著「ロウアーミドルの衝撃」の中で、所得階層の2極化によって総中流社会が崩壊したと指摘したが、その状況はさらに加速している。
年俸300万円以下の人たち、300万円―600万円の人たちを足すと、全体の80%程度を占めている。
逆にアッパーミドル(600万円―1000万円)もアッパー(1000万円超)の割合も増えていない。
日本社会は格差が縮小し、600万円以下のロウアーミドルに見事に収斂してしまっている。まさに「低位安定」といったところだ。
このような状況にあって、さらに「格差のない社会」を求めてしまうというのは、私には信じられない。
世界の先進国を見渡してみれば、もっと大きな格差がある社会が普通だ。上へと登っていきたいという気持ちを抱えている人が多く、実際に結構な割合の人が「お金持ち」になっている。
格差が縮小し、全体としてロウアーミドルに収斂してしまう日本のような社会では「元気」がなくなってしまうだろう。
果たしてそれで幸せなのかどうか、今一度考えてもらいたいと思う。
もし、こうした状況が助長されると、社会はどうなってしまうのか? 例えば、日本で生活保護を受ける世帯数の推移を見てみると、90年代には減っていたものが94年頃から急激に増え続けているのが分かる。
厚生労働省が発表した速報によると、2009年度では生活保護を受ける世帯数は月平均で127万世帯に達し、過去最高になってしまった。
生活保護を受けつつ、母子手当を受け取ることもできるので、「最も経済的に得な状況」というのは、次のような状況だと考えることができてしまう。
・結婚してから子どもを3人産み、子ども手当を3人分受け取る
・その上で偽装離婚をして、
・児童扶養手当など、母子家庭に資格がある手当を受け取る
・加えて、(偽装離婚している)旦那が給与をもらう
結婚してから偽装離婚する方が「得」だとなってしまうのだ。
倫理的な問題を指摘することはできるだろうが、こういう風に考える人が出てくるのは必然だ。それで良いのか?ということだ。
私も若い頃は、月々数千円の社宅に住み、銭湯に出かけるという生活をしていた。経済的には決して豊かではなかったが、そこには「将来は何かやってやろう」という強い夢があったから楽しかった。
そういうものがなくなると、エネルギーがない社会になってしまうだろう。
やる気があるなら、どんどん上を目指せるようにするべきだ。逆にやる気がないなら尻をたたく必要がある。
今、日本では家庭でも企業でも国家でも同じことが問われていると私は感じている。
一方で、回復する底力があるとみる人が半数以上おり、日本の将来のあり方としては、経済的豊かさよりも「格差が小さい国」を求める意見が70%を占めたとのこと。
これは非常に悩ましい結果だ。
「日本が自信を失っている」と答えるのは理解できる。
この20数年を振り返ってみてもこれといった良いニュースはなく、さらにこの数年間ではあのイタリアを上回る回数で首相が変わる始末だからだ。
しかし、「格差が小さい国」を目指すことが重要だというのは如何なものか。
私は拙著「ロウアーミドルの衝撃」の中で、所得階層の2極化によって総中流社会が崩壊したと指摘したが、その状況はさらに加速している。
年俸300万円以下の人たち、300万円―600万円の人たちを足すと、全体の80%程度を占めている。
逆にアッパーミドル(600万円―1000万円)もアッパー(1000万円超)の割合も増えていない。
日本社会は格差が縮小し、600万円以下のロウアーミドルに見事に収斂してしまっている。まさに「低位安定」といったところだ。
このような状況にあって、さらに「格差のない社会」を求めてしまうというのは、私には信じられない。
世界の先進国を見渡してみれば、もっと大きな格差がある社会が普通だ。上へと登っていきたいという気持ちを抱えている人が多く、実際に結構な割合の人が「お金持ち」になっている。
格差が縮小し、全体としてロウアーミドルに収斂してしまう日本のような社会では「元気」がなくなってしまうだろう。
果たしてそれで幸せなのかどうか、今一度考えてもらいたいと思う。
もし、こうした状況が助長されると、社会はどうなってしまうのか? 例えば、日本で生活保護を受ける世帯数の推移を見てみると、90年代には減っていたものが94年頃から急激に増え続けているのが分かる。
厚生労働省が発表した速報によると、2009年度では生活保護を受ける世帯数は月平均で127万世帯に達し、過去最高になってしまった。
生活保護を受けつつ、母子手当を受け取ることもできるので、「最も経済的に得な状況」というのは、次のような状況だと考えることができてしまう。
・結婚してから子どもを3人産み、子ども手当を3人分受け取る
・その上で偽装離婚をして、
・児童扶養手当など、母子家庭に資格がある手当を受け取る
・加えて、(偽装離婚している)旦那が給与をもらう
結婚してから偽装離婚する方が「得」だとなってしまうのだ。
倫理的な問題を指摘することはできるだろうが、こういう風に考える人が出てくるのは必然だ。それで良いのか?ということだ。
私も若い頃は、月々数千円の社宅に住み、銭湯に出かけるという生活をしていた。経済的には決して豊かではなかったが、そこには「将来は何かやってやろう」という強い夢があったから楽しかった。
そういうものがなくなると、エネルギーがない社会になってしまうだろう。
やる気があるなら、どんどん上を目指せるようにするべきだ。逆にやる気がないなら尻をたたく必要がある。
今、日本では家庭でも企業でも国家でも同じことが問われていると私は感じている。
それが無いのに結果だけ自己責任では良い社会とは言えません
偽装離婚をして母子手当てを受け取る~。は犯罪なので格差の無い社会を目指すことが原因にはならない。格差の大きな社会を目指しても発生することでしょう。
国内は暫くの間、人口減のトレンドが続くと思われますし、国内発の大きな技術革新もしばらく見込めなそう、となると、経済的発展が無くとも幸福を感じる価値観やライフスタイルを構築するようにして、国内ベースで暮らすか(ローカル志向)、英語や中国語を学び、国境を越えて活躍できるようになる(グローバル志向)のいづれか、ということになるのでしょうか?両者の美味しいところ取りができるといいのですが。。。
ただ日本人全体が『草食系』になっているのは大きな問題です。ケインズも認めるように経済成長の鍵は『アニマル・スピリッツ』なのですから。
「日本に機会の平等がない。」と述べられている方がいますが、新興国の若者は日本より大きなハンデがあるので一概には言えないでしょう。やはり教育から変えていくべきです。
確かに、国そのものは元気が出るかも知れませんが、
格差を肯定してしまうと、高収入の家庭は子供の教育に金をかけエリートコースを歩ませ、貧乏人は生活に手いっぱいで教育に手が回らず、いつまでも低収入を脱出できない、という「身分差」が社会に生まれてしまうことになるのでは?
今回の記事は、いかにも自分が成功者だからこそ語れる精神論であるかのように感じました。
「オレみたいに皆も頑張れよ!出来ないならずっと地べた這いつくばってろ」的な。
日本は本当に貧困社会になった。貧困の平等。哀しい
二宮金次郎のようないだいな財政家が必要。卵は何故世界一安いか。米は何故世界一高いか。DEQUALIFICATION社会。安物粗品ばかり。
もちろん、ただ日本人がやりたがらない仕事を外国人が代わりに行なっていると見ることもできる。
しかし、完全な肉体労働の分野だけではなく、接客業のような高い日本語運用能力が求められる仕事にまで外国人労働力が及んできている。
この現実から垣間見えるのは、自分たちでは備えを怠り、努力をせず、起こる筈もない良いことを期待して、生活保護、年金など、あらゆる手当を当てにするようになってしまった日本人の姿。
テレビの街頭インタビューなどで、子ども手当はもらって当然、開始したからには続けてもらわなければ困るといった回答を平気でする人が多いのには愕然とする。
しかし、これが今の日本の姿であり、それが負債大国という形で見事に反映されている。
政府は所詮自分たちの代表。期待するだけでは日本は何も変わりません。もうそろそろ自分の足で立ち上がりませんか?
日本には技術力と勤勉さが絶対に必要である。
その積み重ねが富を生むという事の再認識、そしてさらには富を分け合う心をこそ教育の基本に置いてほしい。
一部の人間だけに富が集中し、飢餓や支配に苦しむ人々が多々いるこの世界が変わることを願うばかりです。
問題は経済格差どうこうよりも「将来は何かやってやろう」という意思が感じられない事。
年収300万円の人が増えようと構わないと思う。
ホリエモンも言っていたが、今の日本ならばハンバーガー100円、牛丼300円で食べられる。ネットカフェに泊まれば1泊1000円で寝られる。
「将来は何かやってやろう」という意思がある人ならば、そんな生活でも充実していると思う。
では、そんな意思のある人を増やしていくにはどうしたら良いのか。それは年収300万円の人に、年収1000万円クラスの選択肢の多さや、精神的自由度、自ら貧しい人を救うこともできる意義を伝え、手取り足取り育てていくしかないと思う。
ビジネスブレイクスルーでも、そんな取り組みはできるのではないでしょうか。
元々意思を持っていて優秀なビジネスマンをターゲットにするよりも、年収300万円クラスの人を育てる方が社会的意義があるのではないでしょうか。
それは、大前さんのような成功者だからこそ始めるべき、ノブリスオブリージュ(高貴なる者の義務)だと思います。
もう始めていらっしゃると思いますけどね。
僕も頑張ります。
格差がいかにも悪であるかのような最近の議論には疑問を感じます。格差を問題にする人たちは、個々人が努力して得た結果まであげつらっているように思われます。
そこには機会の平等と結果の平等とを取り違えているように見えます。重要なのは、一人ひとりが切磋琢磨できる機会が均等に与えられるようにしなければならないということであり、その結果として優勝劣敗が生じるのはやむを得ないのではないでしょうか。
必要なのは敗者をいかに社会的に救うかというセイフティネットをきちっと構築しておくことであり、競争そのものまで否定するようになると、20年前に行き詰って崩壊した社会主義国と同じような状況に陥る危険性があります。
行き過ぎた市場主義に対しては、何らかのチェック機能が必要ですが、経済のみならず、国も企業も、また個人も成長し、より良い高みを目指していくためには、他者と競い合うということが不可欠です。