菅直人首相は先月21日の参院予算委員会での答弁で、原発再稼働のための本格的な安全基準について「(東京電力福島第一原発の)事故調査・検証委員会の報告が出た1年か2年後、新しい基準をつくることになる」との見解を示した。また同日、海江田経産相は菅直人首相の「脱原発」発言について、「首相が個人的な意見だと言っているので、それを共有しているかどうかは、鴻毛(こうもう)より軽いと思う」と述べ、脱原発を内閣として共有する必要はないとの認識を強調した。
まず本質的な点を指摘しておくと、「再稼働の基準=ストレステストの結果」であるべきで、ここを外していては問題外だ。そして菅総理の言うところでは、事故調の報告から1年~2年ということなので、端的に言えば「今から3年間は原発無し」ということだ。これは、もはやテロリストの所業だと私は思う。これから3年間、原発を一切使わないとなると、日本の産業はどうすればいいのだろうか?
菅総理を始め、一部の人が思い描いているストーリーは次のようなものだろう。
・世界唯一の被爆国である日本だからこそ、核なき世界を主導すべき
・再生可能エネルギーを国家戦略として取り組むべき
こうしたビジョンを訴求するために、子供を抱えた母親が登場して「この子の将来のために脱原発を…」と泣いて訴えるわけだ。切り札としてこのような演出まで使うのではないかと私は見ている。
本来、子供の明るい未来と日本の産業界の発展は対立するものではなく、日本の産業界がボロボロになってしまえば、それは子供の未来にも悪影響を及ぼすのは明白だ。しかし政治の世界では、「本来対立していないものでも対立させてしまう」から厄介だ。
「お母さん、“産業の発展”と“あなたの子供の未来”、どちらが大切なのですか?」と問いかけ、「核なき世界を一緒に創りましょう」と背中を押せば、多くの人は「脱原発」に傾いてしまうだろう。実際、あの朝日新聞が「脱原発」に賛同しているほどだ。私はこの風潮に危険性を感じている。
また、ストレステストについてもその実施内容に大きな問題があると私は思う。新潟県の泉田知事は先月26日、政府が定期検査中の原子力発電所を再稼働する条件として実施するストレステストについて「気休め以外の何ものでもない」と厳しく批判しているが、私もこの意見に賛成だ。
保安院の提出したストレステストは欧州型をベースにしたもので、そこには「福島第一原発事故」の反省が活かされていない、福島の反省が活かされていなければ意味が無いと泉田知事は指摘している。
泉田知事は原発を抱える全国の知事の中で、オピニオンリーダーの立場にある人だ。彼の発言は大きな影響力と意味を持つと考えて良いと思う。これにより、今回のストレステストの地元での受け入れはほぼ不可能だろう。
原発問題を考えるにあたって、感情論だけで脱原発に傾くのも問題だと思うし、またストレステストにしても、それを実行する意図・意味はどこにあるのかを冷静に判断する必要があると思う。政治家や官僚の発表内容を鵜呑みにせず、国民一人ひとりが物事の本質を見極める考え方を身につけることが大切だと改めて感じる。
【今週の問題解決視点のポイント】
常に本質を見ることを心がける。問題解決はここから始まる。
まず本質的な点を指摘しておくと、「再稼働の基準=ストレステストの結果」であるべきで、ここを外していては問題外だ。そして菅総理の言うところでは、事故調の報告から1年~2年ということなので、端的に言えば「今から3年間は原発無し」ということだ。これは、もはやテロリストの所業だと私は思う。これから3年間、原発を一切使わないとなると、日本の産業はどうすればいいのだろうか?
菅総理を始め、一部の人が思い描いているストーリーは次のようなものだろう。
・世界唯一の被爆国である日本だからこそ、核なき世界を主導すべき
・再生可能エネルギーを国家戦略として取り組むべき
こうしたビジョンを訴求するために、子供を抱えた母親が登場して「この子の将来のために脱原発を…」と泣いて訴えるわけだ。切り札としてこのような演出まで使うのではないかと私は見ている。
本来、子供の明るい未来と日本の産業界の発展は対立するものではなく、日本の産業界がボロボロになってしまえば、それは子供の未来にも悪影響を及ぼすのは明白だ。しかし政治の世界では、「本来対立していないものでも対立させてしまう」から厄介だ。
「お母さん、“産業の発展”と“あなたの子供の未来”、どちらが大切なのですか?」と問いかけ、「核なき世界を一緒に創りましょう」と背中を押せば、多くの人は「脱原発」に傾いてしまうだろう。実際、あの朝日新聞が「脱原発」に賛同しているほどだ。私はこの風潮に危険性を感じている。
また、ストレステストについてもその実施内容に大きな問題があると私は思う。新潟県の泉田知事は先月26日、政府が定期検査中の原子力発電所を再稼働する条件として実施するストレステストについて「気休め以外の何ものでもない」と厳しく批判しているが、私もこの意見に賛成だ。
保安院の提出したストレステストは欧州型をベースにしたもので、そこには「福島第一原発事故」の反省が活かされていない、福島の反省が活かされていなければ意味が無いと泉田知事は指摘している。
泉田知事は原発を抱える全国の知事の中で、オピニオンリーダーの立場にある人だ。彼の発言は大きな影響力と意味を持つと考えて良いと思う。これにより、今回のストレステストの地元での受け入れはほぼ不可能だろう。
原発問題を考えるにあたって、感情論だけで脱原発に傾くのも問題だと思うし、またストレステストにしても、それを実行する意図・意味はどこにあるのかを冷静に判断する必要があると思う。政治家や官僚の発表内容を鵜呑みにせず、国民一人ひとりが物事の本質を見極める考え方を身につけることが大切だと改めて感じる。
【今週の問題解決視点のポイント】
常に本質を見ることを心がける。問題解決はここから始まる。
こういうの読んでから言ってちょ。
http://www.nexturayasu.jp/press/infdata/21.pdf
この発言は許し難い。
経産省は原発1機4500億円としていますが、実際には6000億以上必要とも言われています。また、地域への交付金として900億円投入されることになります。巨大な箱ものです。
柏崎刈羽原発の1号機は1985年営業運転開始。もう26年目です。5号機1990年営業運転開始で21年目です。目安の30年にあと10年もありません。ここ10~20年で多くの原発が廃炉になります。廃炉には数10年の歳月と建設金額を上回るコストがかかると予想されています。しかも、廃棄物を処分する場所は宙に浮いています。
合成開口レーダーのデータを分析した結果として「柏崎刈羽原発は活褶曲の真上にあるようだ」と言われています。新潟の地震で肝を冷やしたばかりで、今度は福島で今世紀中には解決不可能な大事故が起こっています。文字通り、なりふりかまわず金には糸目をつけず収拾にあたっているわけですが、おそらく何兆円もの国費を投入したとしても、今世紀中には解決不可能でしょう。発電所といいながら、乾電池一本の電気も生産していない巨大なゴミを後世に押し付けることになるのです。この場に及んで、原発推進(擁護)の発言は看過できません。
刈羽原発の総面積は420万平方メートルです。
シャープ太陽電池
多結晶型1平米あたり、0.15kW 税込み 72450円
仮に柏崎刈羽原発の敷地にシャープの多結晶型太陽電池を敷き詰めると、
0.15kW x 420万平米 = 63万kW の発電能力
72450円 x 4200000 = 3043億円
昭和シェルのCIS太陽電池の場合
平米あたり0.1kW 税込み44730円
0.1kW x 420万平米 = 42万kW の発電能力
44730円 x 4200000 = 1879億円
耐用年数25年 9100日 1日6時間発電するとして2275日 = 54600時間
シャープの場合、344億kW時 1kW時あたりの投資金額は、8.8円
昭和シェルの場合、229億kW時 1kW時あたりの投資金額は、8.2円
原発を止めると山手線の内側に匹敵する面積の太陽電池が必要と言われていますが、それなら山手線の内側の家の屋根に太陽電池を置けば解決するということです。補助金もありますし各家庭は最初は負担が大きいですが、今なら10年ちょっとで元がとれます。しかも、設置したその日から相当分のCO2が削減され、原子力にも依存しないですむのです。日本全国なら、山手線の内側の面積くらいなら努力しだいで達成可能だと思います。家庭部門での電気の消費割合は、全体の3割になると言われています。家庭部門を太陽電池化すれば、CO2 25%削減も夢ではないと思います。電力会社は3割の利益を失うことになりますが、時代の流れです。これを調整するのが政治の役目だと思います。
関係のないことを無理やり関連づけていると言いたいのでしょうが、
もともと原発推進派の正当化の為の常套手段。ついに苦し紛れに反原発への攻撃の口実にしてきた。
大前さんの正体はこれだったのか。残念でならない。
今回の大前さんやここの最近の原発推進派のコメントを見ていて、つくづく感じてしまう。
来年の今頃には、この話題すら「忘れている」ことを自分が保障します。
金金金。心なんかないよ。
このままだと税金や公共料金が跳ね上がるでしょう。さらに物価は上昇するけど収入は減り、失業者が増え続け、税収が減った行政はなにもできなくなり、さらに悪化していくという事になるんじゃないかな。
住みにくくなった日本を脱出して生き延びれる資金や能力がある人ならともかく、そうでない人はどうするつもりなんだろう。子供みたいに駄々をこねていれば、誰かがなんとかしてくれると考えているのだろうか。
・・・という評論家みたいな事を考えてはみたが、誰かなんとかしてくれ、というのが本音だ。