荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『オセロ』 ナショナル・シアター・ライヴ2015

2015-10-24 02:34:49 | 演劇
 イギリスの舞台演出家サー・ニコラス・ハイトナーは、2010年9月の『ハムレット』に続いて、2013年4月に同じくシェイクスピアの『オセロ』を上演し、2003年から10年間つとめたロイヤル・ナショナル・シアター(英ロンドン・サウスバンク)のアーティスティック・ディレクターを退任する発表をしている。この重要な時期に演出された『オセロ』は、ハイトナーにとって集大成と言える上演となった。TOHOシネマズ日本橋など全国各地で断続的に開催される、イギリス演劇の上演収録を上映するイベント〈ナショナル・シアター・ライブ2015〉において再公開された。
 オセロは元来、シェイクスピアと同時代である16世紀ヴェネツィア共和国軍の将軍であり、北アフリカ出身のムーア人である。オセロ率いる軍は、オスマン・トルコ帝国によるキプロス島侵略を迎撃するために出動する。しかし本公演におけるオセロは、イスラム圏の某国に駐留する現代イギリス軍のアレゴリーとなっている。駐留軍が灼熱の中東で舐める辛酸を、オセロ、デズデモーナ、イアーゴーらの悲劇によって置換する。それは、駐留という行為そのものの無益さを炙り出させる。
 興味深いのは、演出のニコラス・ハイトナーがユダヤ系であり、なおかつ同性愛者であるにかかわらず、人種差別への言及は、オセロの黒い肌に対する侮蔑と自嘲をあらわすシェイクスピアのテクストに留まっていること、そして、将軍オセロに妻のデズデモーナが不倫していると讒言するイアーゴーという登場人物が、オセロに対してホモセクシャル的な愛憎を潜在意識の中に持っているという学術上の説をほとんど無視していることである。
 つまりハイトナーはおのれのポジションを、作品解釈から意図的に除外しているのである。軍隊内における昇進差の嫉妬、男女間における肉体関係の嫉妬といったじつにナイーヴな現象によって、作品を再構築しようとしている。風格と質実を旨とする軍人オセロが、妻への愛のために骨抜きとなり、嫉妬に狂って破滅する。オセロはデズデモーナの忠実さを信じることができず、自分勝手な妄想のなかで彼女をファム・ファタールに仕立て上げてしまう。オールド・スタイルのCrazy Little Thing Called Loveへの還元。それはあたかもシェイクスピアよりももっと古い、『覇王別姫』や『楊貴妃』といった古代中国の傾城美人の物語へと、悲劇というジャンルの源流へと、遡行するかのごとき試みにも思える。


〈ナショナル・シアター・ライブ2015〉@TOHOシネマズ日本橋など
http://www.ntlive.jp


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