荻野洋一 映画等覚書ブログ

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ゲルニカの少年

2012-06-11 13:00:57 | アート
 大作『ゲルニカ』(1937)は、パリ在住のパブロ・ピカソによって描かれ、その後ファシスト独裁政権下のスペインにこの絵を渡すことを画家が拒否したため、独裁者フランコが死ぬまでパリに留め置かれたことで知られている。
 先日私はこの作品を冒頭に掲げてテレビ番組を作ったのだが、それからたった半月ののちにフジテレビの「すぽると」内の特集企画において同じような文脈、同じようなナレーションで『ゲルニカ』が登場したので、びっくりしてしまった。うっかり「盗作だ」などと主張すると、名誉毀損で訴えられる物騒な世の中なので、まぁほこを収めるとしよう。

 ナチスドイツのコンドル軍によって人類史上初の無差別爆撃に晒されたバスク地方の小都市ゲルニカを、私が初めて訪れたのは昨年の秋のことである。この取材で素敵なご老人に出会った。ルイス・イリオンドさん、89歳。ゲルニカ爆撃の日、14歳だった彼は、前年に勃発した内戦のため学級閉鎖となった休みを利用して、銀行で雑用のアルバイトをしていたそうだ。突然、空襲が始まり、攻撃は3時間も続いたのだという。「次は、自分の頭上に爆弾が落ちるかもしれない」という恐怖に耐えながら逃げ続け、近郊の農村に避難したルイス少年は、農家の家畜小屋に入れてもらい、眠ったそうだ。
「何時間その小屋にいたのかはわかりません。私の名前を呼ぶ母の叫び声が聞こえ、私ははっと目を覚まし、小屋の外に飛び出しました。私が農村に避難するところを目撃した誰かが、母にそのことを教えてくれたらしい。生きて再会した私たち母子は、小屋の外で抱擁しました。」
 ルイスさんは言う。「ピカソは巨匠であり、彼はゲルニカ爆撃をパリの新聞で知ったのです。爆撃の惨状をじかに見たわけではありません。あの作品の芸術的な価値は疑いようがありませんが、記憶の媒介という点で認めることは私にはどうしてもできません。」
 上の写真はルイスさんが著した自伝的エッセー『El chico de Guernica(ゲルニカの少年)』(Ttarttalo社刊)の表紙である。足下の水たまりに、コンドル軍の編隊が映っている。画家でもある彼は、ゲルニカの中心街にアトリエとして別宅を持ち、私はそこもお邪魔したが、たくさんある彼の絵の中に、小屋の外で朝の逆光に照らされつつ抱擁する母子の絵も見つけた。彼にとってそれは写実表現であるのだろうが、私にはそれがデ・キリコの作品のごとく形而上的にフリーズし、どこか空々しささえ感じられた。間接的体験をもとに描かれたピカソの作品に生々しい哀しみと怒りを感じ、事件の当事者が写実的に描いた作品にフラットな空々しさを感じるのだから、絵画とは不思議なものだ。

 ルイス・イリオンドさんの兄ラファエル・イリオンド(94歳)は、アスレティック・ビルバオのレジェンドのひとりだったそうで、リーガ優勝1回、総統杯(現・国王杯)優勝4回を経験し、監督としても総統杯優勝1回を経験している。


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