荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『母の残像』 ヨアキム・トリアー

2016-09-22 00:56:25 | 映画
 この9日間ほど、仕事でスペインに行っていた。行き帰りのエール・フランス機のなかでは例によって未見・既見の映画を見まくったのだけれども、予備知識のまったくない状態で見た作品のなかに拾いものがあった。日本語字幕なしだったので、あくまで私の拙い語学力による理解の範囲ではあるが、これはちょっとお薦めしたい。タイトルは『Louder Than Bombs』(2015)。きょう帰国して調べてみたら、『母の残像』という邦題で11月に日本公開されることを知った。しかしまだあまりホームページもちゃんとしていない。

 私たち人間は、死別した人間と、死別という「境」によって、新しい関係を築く。築くことができる。私はみずからの経験——親の死、友の死、血縁者の死、そしてリスペクトする先達の死——を通して、その新しい関係性を知ることができつつある。私とその人は、その人が生きていた時とは別の対話をすることができる。その新たな対話の可能性を模索したすばらしい作品として、最近ではオリヴィエ・アサイヤスの『アクトレス 女たちの舞台』(2014)があった。

 『母の残像』は、3年前に事故死をとげた戦争写真家の母親イザベル(イザベル・ユペール)の不在をめぐって、そして事故死の謎、あるいは生前の母の別の顔をめぐって、残された夫(ガブリエル・バーン)と2人の息子がとまどい、揺れ続ける、そんな憂鬱さに沈潜していく映画である。監督はヨアキム・トリアー。ラース・フォン・トリアーの血縁かしら? ——図星。ただしデンマークの鬼才の甥なのに、なぜノルウェー人なのかは今のところわからない。ノルウェーで撮った2作はすでに渋谷のノーザンライツ映画祭で上映済みとのこと。今作が初の英語作品だそう。共同脚本にエスキル・フォクトがクレジットされている。この人の『ブラインド 視線のエロス』という未公開作がWOWOWで放送されたのを見たが、失明した女性の空想をおもしろく描いていた。
 『母の残像』の最初のほうで、長男(ジェシー・アイゼンバーグ)が母の回顧展の準備のために、久しぶりに実家に帰ってくる。月並みな感想だが、この長男の微妙にダメなありよう、不実さが、どこか戦前の小津映画の息子を思わせる。『ソーシャル・ネットワーク』のイメージに引っ張られた感想かもしれないが、長男役のジェシー・アイゼンバーグがすばらしい。もちろんイザベル・ユペール、ガブリエル・バーンもいいし、終盤でアメリカン・スリープオーバー(!)の帰り道、次男がひそかに恋する女子生徒と歩いて帰るシーンが絶品である。夜の闇が白んでいき、尿意をもよおした少女は、他人の家の陰で用を足す。液体の細長いスジが道路をつたい、向こうを向いていた次男の靴にぶつかって、液体は進路を変えていく。次男の目に涙があふれる。
 この涙はもちろん憧れていた少女への幻滅ではない。万感せまる涙である。


11/26よりヒューマントラストシネマ渋谷で公開予定
http://www.ttcg.jp/topics/master-selection/


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2 コメント

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Unknown (橋脇隆)
2016-10-03 16:42:20
ほほう。なかなか面白そうですね−。観に行けるかなぁ。
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Unknown (中洲居士)
2016-10-05 02:26:03
わたしも機内で字幕なしで見たので、劇場でもう一回見たいと思います。
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