荻野洋一 映画等覚書ブログ

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デイヴィッド・ホロビン 著『天才と分裂病の進化論』

2012-08-02 03:33:47 | 
 環境への適応変化に応じて突然変異をくり返し、種は進化していく。私のような素人としてはそんな説明をされれば、「はぁなるほど」と簡単に納得してしまう。しかし、それに疑問を呈する学派もあって、イギリスの分裂病協会医学顧問をつとめたデイヴィッド・ホロビンの『天才と分裂病の進化論』(2001 新潮社)もそうした本である。一部では「トンデモ本」の評価もあるようだが、私は随分とおもしろく読んだ。
 環境因子だけでは進化につながる遺伝的反応をうみだすことはできない、と本書は主張する。環境因子にできることは「あらかじめ存在している突然変異、特定の環境に有利な遺伝子的反応を選択することである。」
 つまり、はじめに突然変異があり、それが環境への適応に好都合な家系の繁栄をもたらした、という説明である。そしてホロビンは人類の進化の契機として、精神分裂病(統合失調症)の出現に注目する。人類が進化するにあたって、現状に満足しない分裂病気質の個体たちが生態に跳躍的な変化をもたらした(現代人はそれを「天才」と呼ぶ)というのである。さらに突然変異の発端として、動物の骨髄を餌としたことからはじまる脂肪分の摂取をあげている。ようするに、ホモ・サピエンス(人類)はあぶらを喰いだしてから、統合失調症患者と天才の両方を産みだし、進化の冒険をはじめたらしい。

 「分裂病は社会のあらゆる階層の、あらゆる能力を持つ人々を冒す。しかし、偉大で善良、優秀で裕福な家系、野心的で知識のある創造的な家系にきわめて高い頻度で出現するように思われる。これは幻想だろうか。実際、何か関係があるのだろうか。」
 著者はそう設問をかかげ、進化論を精神分裂病と結びつけて議論を展開していく。

 唐突な連想だが、上のような議論で語られる発狂・分裂・突然変異・進化の作動を、映画の映像-音を用いて体現する映画作家がいる。黒沢清である。黒沢映画の多くで、ひとりの狂人(天才)が冒頭に現れて、自殺したり暗殺されたり、拘束されたりと、現世秩序の抜本的変化に着手する前に破滅する。しかし、彼の遺志を受け継ぎ、超人的な指令を聞き分け、現世秩序の抜本的変化を実行にうつす代行者が現れる。彼は前任者の思考、言動を徐々に体得し、善悪を超えた超-存在と化すのだ。そんな代行的な超-存在を、黒沢は役所広司、オダギリジョーらに託してきた。その伝で言うと役所やオダギリは、率先して動物の骨髄にしゃぶりついた初期ホモ・サピエンスの末裔ということになる。
 科学的無知を映画の比喩でごまかしたようで気恥ずかしいが、黒沢清を念頭におきながら本書を読むと、理解がどんどん進む。


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