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小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



昭和から平成へと時代の移り変わりのなかで、小田原駅周辺の店舗もずいぶんと入れ替わりがあった。昭和時代にあった店舗や企業を知ることの出来る貴重な資料が数年ごとに発行されていた小田原商工年鑑で、先日1976年版の年鑑の中に懐かしいお店の広告ページを見つけた。小田原商工年鑑は小田原周辺の商工業者が業種ごとに店名や所在地が記載されている。以前、このブログでも紹介した銭湯の移り変わりもこの商工年鑑を参考にした。先日、今から41年前の1976年発行の小田原商工年鑑をめくっていると今はなき懐かしい店舗の広告ページを目にした。商工年鑑は基本的に大部分のページが電話帳のような記載だが、巻頭巻尾に広告ページが設けられている。その中の一ページは小田原駅周辺の飲食店が4店掲載されていた。真砂とレストランあさひと数年前まであった中華菜館いろはは覚えているが、うな八はほとんど記憶にない。別のページには大東証券小田原支店の写真入の広告が掲載されていた。大東証券の名は現在では耳にすることが無く、調べてみると最終的にはみずほ系列の証券会社に吸収合併されたようだ。 1976年当時、大東証券小田原支店だった建物は現在、第三区公民館として利用されている。なんとなく以前は金融系の店舗だった記憶があったので、はっきりと店名が分かってすっきりとした。小田原商工年鑑1976の広告ページのなかで一番興味をひいたのが、今現在もテナントビルとして駅前通り沿いにあるマツガヤビルの広告。当時のテナントはB1が清盛、1階が不二家、2階が香港飯店、3階がきたはま、4階が小田原クッキングスクール、5階がスカイコンパ、RFが季節限定のスカイビアガーデン。現在のマツガヤビルのテナントはB1が湊や、1階が小田原バル、2階が山内農場、4階がアイフルで5階がアコム。マツガヤビルは不確定情報だが完成したのは1969年なのであと数年で50周年を迎える。昭和から平成への時代の移り変わりのなかで、様々な人々が交差し営んできた場がその佇まいから伝わってくる。駅周辺も近年、店舗の建て替えが進んでいるが、昭和の頃の駅前の雰囲気を伝えるビルとしてこれからも長く残ってほしい。

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