goo blog サービス終了のお知らせ 
小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



今では下火になってしまったゲートボールは昭和50年代半ばから60年代にかけては高齢者を中心に人気のスポーツで、この小田原にも昭和57年11月にゲートボール協会が発足するなど市内各地で盛んに行われていた。小田原市消防本部の裏手にある鴨宮運動広場にゲートボール場が整備されたのは昭和57年の12月。その当時、市内のゲートボール人口は老人クラブを中心に約200チームに所属する1500人ほど。この鴨宮運動広場にゲートボール場が整備される以前の市内のゲートボール施設は酒匂川河川敷に2面と城址公園内の1面だけ。その他は、公園や小中学校の校庭などを利用していたため、利便性が悪く大会も開催出来ないなどの問題もあってゲートボール場整備の要望が高まり、鴨宮運動広場に5面のゲートボール場が作られた。鴨宮運動広場のゲートボール場は最近使われる機会もほとんど無いようで雑草が茂っていて一見するとゲートボールのコートには見えない。野球場との間にある金網のプレートが無ければここがゲートボール場だと気が付かないだろう。鴨宮運動広場のゲートボール場はかつてクレーコートのゲートボール場だったようで、敷地中央部分は砂地が見えているが半分以上の部分が雑草に覆われている。この状況ではゲートボールを行えないのではと思う。ゲートボール場を埋め尽くしているシロツメグサが春の日差しの中で白い花を咲かせていた。鴨宮運動広場のゲートボール場は利用されなくなって久しいようだが、至近距離に老人ホームが建設されるので、今後再びゲートボールが盛んに行われるようになるのかもしれない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )