長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

名古屋城本丸御殿明日一般公開

2013年05月28日 | 
明日、いよいよ名古屋城本丸御殿の再建御殿が一般公開されます。

最近疲れが溜まっていましてどこかで休みを取ろうと思っていたので、折角なので明日休みにしてみました。
なので、明日の初日に行ってくる予定です。

ま、もしこの本丸御殿が400年後にも残っていることがあれば、その一般公開初日に見学できた、というのもなんとなく価値が出そう。
生きてはいないでしょうし、私がみたなど誰も知らないかもしれませんが、個人的には死ぬ直前に「ああ、取り立てて何と言う人生ではなかったかもしれないが、本丸御殿の初日を見たんだよねぇ。」と思うかもしれませんし、思わないかもしれません。

で、前日の状況はどうなんだろうか、と、思いまして、昼休みを利用して見てきました。


なんだかいよいよ公開、という感がありまして、なんとはなしにワクワクしてしまいました。

ところで、私が城好きということから、聞かれることがあります。

「名古屋城で作ってる本丸御殿。あれについてどう思ってるの?」
というもの。

聞いてくる人の意図は大きく分けて二つのようです。
城好きなので、
①再建されることは現物に近いものが再現されて嬉しいのでしょう?
②再建などは所詮偽者で嬉しくないのでしょう?
と、いうニュアンスです。

で、私の回答は
「再建してもしなくても、それぞれ意味があってよろしいのです。」
と、いうもの。

再建してくれれば、単純にイラストや写真で見るのではなく実物を見ることができる。
それなりに焼失前の建物に忠実に作られているのであれば、こんなにうれしいことは無い訳です。

では、再建してなくてもいい、というのはどういうことなのか。
再建してなくても、想像で補えばよく、そもそも、なぜ焼失してしまったのか、WWⅡにより、折角の世界遺産クラスの城を失ってしまった。その意味をよく考えるきっかけになる訳です。

コンクリ造りでエレベーターがある天守閣。
これもよく批判にさらされていますが、なぜコンクリ造りのものとなってしまったのか。天守閣が落雷による火災で多数失われている中、戦前まで日本最大の床面積の天守閣が壊れずに残っていたのに、戦争で失ってしまった。その意味からしっかりと現代史をみつめなおすきっかけにもなりますし、戦後の復興の中で市民の力でなんとか失った天守閣を取り戻そうとして、コンクリ造りとは言え再建をしたという歴史的経緯もあるわけです。
最近では、昭和の遺産としての価値がある、という考え方も出てきています。

まぁ、こういうことを色々と考えるきっかけになるのが個人的には最も望ましいと考えておりまして、ただ単にハコノモができた、というのでは勿体無い、というのが一番の感想です。

ただ、本丸御殿については懸念が一点。

焼失前の本丸御殿は、創建当初は今回の再現のように檜皮葺の屋根でしたが、檜皮の調達や葺き替えの必要性から管理経費がかかることから、江戸中期に瓦葺になっているのです。
と、いうことは、今回の檜皮葺の屋根も一定年数がくれば手入れが必要になるはず。
はたして、の経費は捻出できるのか?
そこが心配。

でも、瓦葺になっても良いかと。
結果的に同じ理由で同じ経過を辿った、と、なれば、それはそれで一興かと。

作るのは維持したり辞めるより簡単なんですよね。
果たして、今後の経過がどうなっていくのか。

そこが一番の見所になるのかもしれません。